田辺聖子における「昭和」

(%紫点%) 前期講座(文学・文芸コース)(3月〜7月:全13回)の第11回講義の報告です。
・日時:7月10日(木)午後1時40分〜3時40分
・会場:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:田辺聖子における「昭和」
・講師:住友元美先生(田辺聖子文学館 学芸員)
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◆前回(2014.1.16)「田辺聖子の人生と作品」の復習
・1928(昭和3)年大阪市生まれ。生家は写真館で大家族。【文学少女】(子供のころから本が大好き。樟蔭女子専門学校時代(17歳〜20歳)、学徒動員で工場で働く。空襲/終戦/戦後)。【OL時代・文学修業時代(22歳〜30歳)】(7年間勤務した金物問屋を退職後、大阪文学学校や同人誌で文学修行)。【『花狩』と『感傷旅行』】(昭和33年、最初の単行本『花狩』刊行。昭和39年、『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)』で第50回芥川賞)。【結婚、そして大家族での生活(神戸時代)】(昭和41年、神戸市の開業医川野純夫と結婚。この時期の多くの作品を書く)。
・作家生活55年・著作270冊以上
・幅広い作品…恋愛小説(夢見小説・ハイミスもの)、ユーモア小説(庶民、中年もの)、評伝小説.、古典小説・古典案内、エッセイ、自伝的作品など
・近年、若い女性に田辺聖子ブーム(女性誌に特集、昔の本が復刊)。
*右上の写真は、昭和39年(1964)(36歳)、『感傷旅行』で芥川賞の受賞(中央文壇へのデビュ−)
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〇田辺聖子における「昭和」
田辺聖子は昭和3年生まれ。昭和とともに生きた時代。戦時中は「軍国少女」として過ごし、娘ざかりは戦後の混乱期と重なった。戦争・昭和の時代に対する強い思いは、数多くの作品にちりばめられている。
<下記の作品(抜粋)>
欲しがりません勝つまでは−私の終戦まで』(昭和52年)
◆「天が地にひっくりかえった。十七年間たたきこまれた世界観も価値観もくるりと逆さまになった。・・・(もう、誰のいうことも信用でけへん)と私は思っていた。人に押しつけられた考えでなく、自分の胸の奥そこの、遠い遠い声に、耳を傾ける。…戦時中の私は、自分のほんとうのきもちに蓋をし、オモシをのせていた。」
◆(あとがき)「私はこの本を、あの時代に共に生きて、共に学徒動員で工場で働き、空襲で散った数多くの学友に捧げたいと思う。…死者は黙してかたらない。若い人に私が語り継ぐ、これが私の「戦争」である。」

しんこ細工の猿や雉』(昭和62年)
◆(あとがき)「民主主義というコトバも新鮮で、すべての事物が目新しかった。…町は焼跡だらけで、若者は継ぎだらけの衣服をまとい、空腹を抱えていたが、その代り果もない自由と希望がある気がしていた。日本という国全体が、新生の瞬間だったのだ。」

おかあさん疲れたよ』(平成4年)
◆(あとがき)「私は私の「昭和」を書きたかったのである。…戦時中にちょうど娘ざかりだった若い女性たちは、戦後、過酷な運命に待たされていた。…彼女らは結婚すべかりし相手を戦争に奪われたのだ。彼女たちへの応援歌をうたいたかった。そしてまた空襲で逝った同世代の少年少女らへの鎮魂歌も。—」
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田辺作品の特徴(昭和を意識した観点から分類)
★自分の少女期を振り返り
・豊かな文化、昭和モダンの時代
・敗戦による激変(軍国主義→民主主義。一億玉砕→一億総ざんげ)
★戦後にむかえた青年期
・戦争の傷痕のなかで、戦後社会を生きた事
・小説の主人公として、ハイミスや中年を描くことで、同世代(主に女性)の戦後に光をあてる。(問題として気づかせ、意識させる)
★古典文学や川柳、大阪弁などをわかりやすく解説する
・日本古来の、殊に、戦時・戦後に曲解された、或は消えつつある日本の文化・美点・言葉を伝える→わかりやすい言葉、より多くの人に伝える虐げられてきたものの復権、リアリティの追及
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*最近の田辺聖子
・2004〜2006年:「田辺聖子全集」(全25巻)刊行
・2006.10〜2007.3:NHK朝の連続ドラマ小説「芋たこなんきん」
・2007年:「乃理子」シリーズ三部作復刊、田辺聖子文学館オープン(6月)
・2008年:文化勲章受賞
・2012年:伊丹市立図書館ことば蔵名誉館長
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*連絡事項−「暴風雨などによる休講について」−*
今日(7月10日)、台風8号の襲来で、出席者は29名(欠席者21名)でした。
①「休講」する場合は、事務局から前日に連絡します。(あらかじめ、警報になる可能性が高い場合は、講師と相談して「休講」とし、皆さんに電話で連絡します。)
②原則として、事務局から連絡しない場合は、開講とします。
(注)この5年間で、1回休講したことがあります。