(%緑点%) 前期講座(歴史コース)(3月〜7月:全15回)の第14回講義の報告です。
・日時:7月15日(火)am10時〜12時
・会場:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:「キトラ・高松塚壁画を読み解く」(2)
・講師:来村多加史先生(阪南大学教授)
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*前回(6月10日)の復習*
◇高松塚古墳とキトラ古墳について
ともに明日香村にあり、墳丘や石室が類似し、壁画の画法や構成に多くの共通点がある。【高松塚古墳】(1972年3月より発掘調査。石室内に星辰・日月・四神・人物群像の壁画)。【キトラ古墳】(1983年11月発掘調査。石室内に円形の天文図・日月・四神・獣頭人身の十二支像)。築造年代は700年前後(7世紀初め〜8世紀初と推定)。
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(%エンピツ%) 第二回講義…《詳細な壁画構成》
◆四神
[玄武と朱雀]
★玄武(北の神獣)
・亀に蛇がからみつき、互いににらみ合う奇妙な構図。
(注)「にらみ合う理由」(中国初期の玄武図によれば、仙薬をめぐる争い(神仙思想)…水草を仙薬として亀にくわえさせ、さほど長生きでない蛇に水草を狙わせることにより、不老長寿の仙薬であると強調)。早い段階で、仙薬らしき草をくわえている図は消滅したが、玄武図の決まり事として亀と蛇のにらみ合いの緊迫感は表現されてきた。
(注)高松塚古墳の玄武図は、盗掘者が鋭利な工具で叩き潰していたので、亀も蛇も頭部が被害に遭って見る影もない。
★朱雀(南の神獣)
・朱雀の原型は孔雀。キトラ古墳の朱雀図は、東アジアを通じて最もすばらしい朱雀である。すばらしさは体躯のバランスと眼光の鋭さにある。翼を広げて飛び立とうとする瞬間をとらえた構図は、鋭角に屈折した左脚が物語っている。
(注)高松塚古墳の朱雀図は、見つかっていない。
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[青龍と白虎]
被葬者の魂を昇天させる際に出発点を定める玄武と先導役を務める朱雀に対し、青龍と白虎は魂を運ぶ原動力を提供する力強い神獣であり、暗い穴から外界へ勢いよく飛び出すような姿をしている。
★青龍(東の神獣) ★白虎(西の神獣)
・キトラ古墳も高松塚古墳も、青龍と白虎は前脚を両脚とも大きく前に突き出し、後ろ脚の一方を鋭角に曲げて力を溜め、一方を後方へ蹴り出そうとしている。
・青龍における「胸や脚に貼りつく流れ雲」、「背筋に流れる宝珠の火焔」、「制御する首輪」など中国におけるお決まりの装飾と画家独自のアレンジが躍動感あふれる禽獣の絵が描かれた。
・白虎でわかる意気込みの違い…高松塚古墳の四神図はキトラ古墳の四神図に比べて省略が激しい。最も注目する点は「足の指と爪」(キトラの白虎の足の指は、屈曲する線の一本一本に、曲がりはしても折れることのない強靭さが感じられるが、高松塚の白虎は、指の線に省略が多いため、荒々しい力が失せている。)
◆人物群像
・高松塚古墳の壁画で、もっとも注目されるのは、飛鳥美人と形容された女性像を含む十六人の人物群像。
・群像は明らかに外出の装いをしている。石室の外に向けて歩み出すポーズもしている。十六人が揃って被葬者を外へ連れ出そうと誘っているのだ。
・男子群像は、横に並んで表現されるのに対し、女子群像は、四人が重なって表現され、西壁の女子群像は頭の位置も高さもそれぞれ異なり、スカートの開き方も進行方向に向かって広がり、きわめて動的に描かれている。
・東壁の男子群像で描かれた「緑の傘」は、一位以上の官位に許されたもので、被葬者は皇族の一員と考えられる。
(注)キトラ古墳で描かれた十二支像は、高松塚古墳では割愛され、そのスペースに、男女の群像が描かれた。
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**あとがき**
・「痕跡器官でわかる相対年代」…生物の身体には本来は機能していた部分が機能を失ったのちも残存している部分がある。生物学ではそういう部分を「痕跡器官」と呼んでおり、痕跡器官の退化状態を観察すれば、進化における前後関係がはっきりする。
(例)キトラ古墳の亀の胸に見られる不自然な半月形が北魏時代の様式を留める痕跡であり、痕跡を留めない高松塚古墳の玄武図があとで描かれた図である。→キトラ古墳が高松塚古墳に先行して築かれた。
・高松塚・キトラ古墳の画家が、中国への留学経験があり、かの地の絵画を学び取って、帰国した人物であると考えている。(来村先生)→キトラ古墳に描かれた白虎の脚の指と爪の源流は中国で、高句麗ではない。
・壁画を読み取る奥深さに惹きつけられた講義でした。
・(参考文献):「高松塚とキトラ」(古墳壁画の謎)(来村多加史著、講談社刊、2008年)