(%緑点%)後期講座(歴史コース)(9月〜1月:全15回)の第2回講義の報告です。
・日時:9月9日(火)am10時〜12時
・会場:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:古代国家と神祇祭祀−祈年祭の期限ー
・講師:平林章仁先生(龍谷大学教授)
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○政治と宗教について
・天武天皇の時代、神祇の制度が整えらていった。祈年祭が確立し、全国の諸社に幣帛を供える体制が整う。(現実の社会で神を祀る儀礼を行うことで、国家組織が神に対して奉仕し、またそれぞれの地域で祀られている対象への奉仕を国家組織が責任をもっておこなうことにより、地域社会と国家との結合が保証されるようになる。(この時代の神を祀る行為は、政治のなかにおける政務儀礼のひとつとしての側面)
・律令…「律」は刑法、「令」は行政法。本格的な律令は「大宝律令」(701年)、718年養老律令。 神祇官という祭祀機関を政治機構の中に太政官とともに併置した(二官八省)。
・格式(きゃくしき)…律令の規定をあらためる「格」と、その施行細則の「式」。三代格式は弘仁格式〈9C前半〉、貞観格式〈9C後半、延喜格式〈10C前半〉。[延喜式は養老律令に対する施行細則を集大成した古代法典。50巻]
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(%エンピツ%)講義の内容
○祈年祭:『延喜式』の神祇の規定と祝詞(*右の資料を参照)
・政府が季節ごとに祭祀をどうするかを記し、お供えを出している。
・(要約)「天皇が即位したときの大嘗祭(だいじょうさい)を大祀とし、祈年(としごえ)・新嘗などの祭りを中祀とし、大忌・風神などの祭を小祀となせ。…祈年の祭りは二月四日、神嘗の祭りは九月十一日…。祈年の祭りの神は三千一百三十一座。…(中略)。御歳(みとし)の社に白馬・白猪・白鶏各一つを加えよ。…(略)」
○御歳神の神話『古語拾遺』(*右の資料を参照)
・(要約)「古い時代に、大地主神(おほなぬしのかみ)、田をつくるとき、農民たちに牛の肉を食べさせた。御歳神の子、田に行って、牛の肉に唾をかけて、帰ってお父さん(御歳神)に告げた。農民の行為に御歳神(みとしのかみ)は.憤慨して、イナゴを田に放った。すると、みるもるうちに苗の葉が枯れてしまった。そこで、大地主神は占い、《御歳神に白猪・白馬・白鶏をお供えして謝罪した》。御歳神もそれにこたえて、イナゴを除去する方法【アサの葉でイナゴを掃(はら)い、カラスオウギであおぎ、ハトムギ、ヌバタマ、クルミの葉、また塩をもって、田んぼの畔に置く】を教えた。…御歳神の教えに従えば、苗の葉は再び茂って、豊作となった。これが、白猪・白馬・白鶏を以て、御歳神を祭る起源なり。」
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*御歳神の子が唾を吐いた。…これは、汚らわしいという解釈でなく、「自分のもの(占有)」という行為。
*御歳神が怒ったのは?…御歳神よりも先に農民が牛の肉を食べた。耕作初めの儀式(御歳神を祭る)の起源。。
*イナゴを掃うのに薬用草で追い払う呪術が記されている。…ここに記載された草は、薬用植物である。(「アサ」は白血病・長血病・便秘病、「サンショ」は解熱剤・膏薬、「ハトムギ」は解熱・寄生虫、「カラスオウギ」は消炎・鎮咳。)
(注)『古語拾遺』…古代の氏族であった斎部氏(いんべし)の由来を記した記紀に並ぶ古代史の貴重な文献。(祭祀を担当した斎部氏が、同様の職掌に携わって勢いを強めた中臣氏に対抗して、正史に漏れている斎部氏の伝承を書き記した)。
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***あとがき***
・祈年(としごい)の祭りは、天武天皇(672−686年)のころ、特別に政府が行うことになったのが起源である。(古代において神を祭ることが重要であった。)
・祈年祭は春先に今年の豊作を祈る。新嘗祭は今年の収穫に感謝する祭。
・神に供える「白馬・白猪・白鶏」は、犠牲(いけにえ)である。通説である、日本の国家祭祀では、いけにえの毛皮や血を神に供えなかったというのは、間違いである。《穀物の神様を祭るのに、牛一頭を殺した》(平林先生)。(注)白猪=白豚
・葛木御歳神社(奈良県御所市)…御歳神を主祭神。(日本全国にある御歳神社の総本社)
・貴船神社(京都市)、丹生川上神社(奈良県吉野郡)…この神は祈雨・止雨に霊験があるとされる。祈雨ならば黒馬、止雨ならば白馬を奉納。
・現在の日本は政教分離(1945年国家神道廃止令)。古代は政治と宗教が一体化(祭政一致)。