森鷗外 現代小説の世界ー「大発見」を読む

(%紫点%)後期講座(文学・文芸コース)(9月〜1月:全13回)の第3回講義の報告です。
・日時:9月18日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:森鷗外「大発見」を読む
・講師:瀧本和成先生(立命館大学教授)
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**森鴎外の略歴** [文久2年(1862)〜大正11年(1922)]
・文久2年石見国(島根県)津和野に生まれ、森家は津和野藩代々の御典医の家柄。鷗外は長男。本名、林太郎。
・明治14年(1881)東大医学部卒業、.陸軍軍医となり、明治17年から21年にかけてドイツに留学し、衛生学など学ぶ。帰国後は軍医として従事するかたわら積極的な文学活動を行う。
・明治40年(1907):(45歳)陸軍省医務局長、陸軍軍医総監(軍医の最高位に就く)。
・大正11年(1922)7月9日死去。享年60歳。遺書「余ハ石見人森太郎トシテ死セント欲ス」。
≪鷗外の作品紹介≫
☆(1890年〜91年)の作品:初期三部作…『舞姫』『うたかたの記』『文づかひ』など。
(注)鷗外はこの三篇を書いた後、長い間、創作の筆を断っている。
☆(1909年〜1916年)の作品:【現代小説】…『青年』『雁』『ヰタ・セクスアリス』など。【歴史小説】…『阿部一族』『山椒大夫』『高瀬舟』『興津弥五右衛門の遺書』など。【史伝小説】…『渋江抽斎』『伊沢蘭軒』『北条霞亭』など。【翻訳】『即興詩人』(アンデルセン)など。

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(%エンピツ%)講義の内容
○『大発見』を読む [小説『大発見』明治42年(1909)6月発表]
*小説『大発見』は四つの段落から構成される(瀧本先生)。
1.第一段落…「発明とか発見とかいふ詞」 (右の文章を参照)
◆「然るに僕は此の頃期せずして大発見した。…かう吹聴したら、諸君(読者)は僕を法螺吹とせられることでしょう。大発見。ちと大袈裟かな。しかし大小なんぞといふのは比較の詞である。…(中略)。僕は主観的に僕の為た発見を大なりというに過ぎないということを、前以てことわって置く。」
・この文章には、当時の文壇−自然主義派(田山花袋・徳田秋声・島崎藤村・正宗白鳥・島村抱月など)への風刺・批判が込められている。

2.第二段落…ドイツ留学した際の公使S・A閣下との会見の様子が描かれる。(*右の文章を参照)
(注)当時の公司S・A閣下…青木周蔵。外交官で最初の駐独大使(のちの外相)。
◆(S・A閣下)「君は何をしに来た。」
(僕)「衛生学を修めて来いといふことでござります。」
(S・A閣下)「なに衛生学だ。…足の親指と二番目の指との間に縄を挟んで歩いていて、人の前で鼻糞をほじる国民に衛生もなにもあるものか。…ヨーロッパ人がどんな生活をしているか、見て行くがよい。」
◆「僕は三年が間に、ドイツのあらゆる階級の人に交わった。…しかし此三年の間、鼻糞をほじるものには一度もで出逢はなかった。ドイツから帰りがけにロンドンに立ち寄り、パリにも立ち寄ったが、鼻糞をほじるものには出逢はない。…果たせるかな、欧羅巴(ヨーロッパ)人は鼻糞をほじらないのである。」

3.第三段階…鼻糞をほじることにたいして「僕」の見解(*文章は省略).
「鼻糞をほじるということは、我らが平気でやることだが、余り好い風習ではないようだ。併しヨーロッパ人がしないから、我々もしてはならないと云われると、例の負けじ魂がむくむく頭を持ち上げて来て、僕にこんな議論を立てさせる。」

4.第四段落…ヰイドとアンドレーエフの小説から鼻糞をほじる描写を発見する。 (*右の文章を参照)
(注)鷗外は20年以上経ったある日(1908年)、「僕」は、グスタアフ・ヰイド(デンマークの小説家・劇作家)とアンドレーエフ(ロシアの作家)の小説から鼻糞をほじる描写を発見した」。
◆ヰイドが書いた「2×2=5」の中に…船頭が「彼はをりをり何物をか鼻の中より取り出している。さて、その取り出した結果を試験する為めに、鼻の中にいっぱい生い茂っている白い毛を戦がせて、彼は空気を通過させて見ている。」
◆アンドレーエフの「七人の戮(りく)せられたもの」という小説を読んでみると、主人を小刀で刺した百姓が法廷で、節くれだった指で、鼻の穴を掘っていることが書いてあった。ろすけも矢張りほじくると見える。

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***あとがき***
森鷗外はS・A閣下を風刺的・批判的に描いている
・S・A閣下、青木周蔵は、洋学崇拝者の典型的な人(日本のドイツ化を進める)。一方、森鷗外は「和魂洋才」(日本は、科学技術は劣っているので、学ばないといけない。しかし、日本の伝統的なモラルは西洋より優れている。)
(注1)当時の日本は、国粋派と洋学崇拝派に大きくわかれ、「和魂洋才」派は少数派。
(注2)鷗外ドイツ留学時の日記「独逸日記」(明治17年〜明治21年)…青木公使に逢って、小説に近いシーンが書かれているが、”鼻糞をほじる”ことは書かれていない。鷗外の虚構(文学)である。
森鷗外と国家
・鷗外は、軍医としての公的生活と文学者としての私的生活の矛盾に苦悩しながら、多くの作品を発表。
・「大逆事件」(明治43年(1910)5月25日)(最初の逮捕者7名。言論弾圧)→アンドレーエフ「七人に戮せられたもの」という作品を追記(1910年10月)で「大発見」に収録。作品をとりあげることにより、当時の言論弾圧を暗に批判している。
「大発見」の評価
・現代小説が凝縮された作品である。(瀧本先生)
・鷗外の心性を沢山の興味深い手がかりを持つ.という意味から注目すべき小篇。(高橋義孝『森鷗外 現代作家論全集1』より)
・ユーモアを通じて、世俗的な偏見についての諷刺や批評が表れている点、一つの新しい生面を開拓したものであろう。(渋川驍『森鷗外 作家と作品』より)

*出席者の大半が、森鷗外の「大発見」を読んだのは初めて。〝鼻糞をほじる”という詞を聞くと、〝クスッと笑い声”があちこちで洩れていました。