大坂城の女房〜二人のおきくの生き方〜

(%紫点%)後期講座(文学・文芸コース)の第4回講義の報告です。
・日時:10月2日(木)午後1時半〜3時10分
・会場:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:大坂城の女房〜二人のおきくの生き方〜
・講師:田端泰子先生(京都橘大学名誉教授)
———————————————-
**大坂城(関係年表)**
・慶長3年(1598)8月:豊臣秀吉没(幼少の秀頼が家督相続)
・慶長5年(1600)9月:関ヶ原合戦(家康の覇権確立)
・慶長8年(1603):家康、江戸に幕府を開く。秀頼(11歳)、千姫(7歳)(家康の孫娘)と結婚。
・慶長19年(1614)10月〜12月:大坂冬の陣
・慶長20年(1615)5月7日:大坂城落城、翌8日に秀頼・淀殿母子自害(豊臣家滅亡)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
伊勢氏の娘おきく(於菊)…大坂城落城の時、自害。(*右の資料を参照)
・於菊の父貞景は、信長に仕え、秀吉にも仕える。於菊の母は松永弾正の長女。於菊の祖母は濃姫(斎藤道三の娘、信長の正室)の妹。・
・於菊は、12歳の時、秀頼の上臈として出仕。13歳の時、大内裏に三か月奉公、秀頼のもとに下され「大上臈(おおじょうろう)」となる。
・於菊は天正8年(1580)生まれ。大坂夏の陣(1615年)の時は、36歳。
(注)女房の階層…「上臈・中臈・下臈・はしたもの」という女房の階層は、室町時代(足利将軍)の時につくられ、秀吉時代に引き継がれたと思われる。

『駿府記』が語る自害の衆(*右の資料を参照)
*『駿府記』(駿府隠居中の家康をめぐる政治情勢を記した日記。作者不詳(側近))には、秀頼公と同時同所に帯車輪において自害した人々が記されている。
【男女一所自害 32人】
・右大臣秀頼公(23歳)、御母儀(号淀殿)、大野修理大夫(大野治長)、竹田栄翁、津川左近、武田左吉ら…20人
・女中衆:わごの御坊(伊勢国司親類)(=於菊)、大蔵卿(大野修理母)、相庭局、右京大夫(秀頼御乳母)ら…6人
・新座衆:毛利豊前守、真田大助(幸村の息子、13歳)ら…6人

もう一人の女房おきく…(生きのびた中臈)
(1)おきくの略歴
「おきく」は慶長元年(1596)生まれ。祖父は浅井長政に仕え、父(山口茂左衛門(は藤堂高虎の浪人客分、大坂陣で討死。…おきくは大坂城で女房づとめ、落城時20歳。うまく城外に逃れ出て京へ。のち備前池田藩の田中意得の祖父と結婚。昔語りとして『おきく物語』を語る。延宝6年(1678)83歳、備前で死亡。
(2)『おきく物語』 (*右上の資料を参照)
*大坂城落城時の貴重な体験を物語る。
【要約】5月8日、千畳敷の縁側へ出ると、あちこちが「丸焼けになっていた」。帷子(かたびら)を三つ重ね着をし、下帯も三つして、秀頼より拝領の鏡を懐中に、台所口から出た。…おきくは城外へ。物影から男がさびた刀をぬいて、「金を出せ」というので、懐中に持っていた「竹ながし」(竹にお金を鋳込んだもの)を手渡した。その男に藤堂殿の御陣はどこか問うと、「松原口」と答えたので、その場所まで同道させた。…(中略)。その後、「要光院殿」(淀殿の妹、お初。京極高次の奥さん。冬の陣の徳川方と豊臣方の和睦交渉の仲介役)の一行と合流することができ、お供をする。…「要光院殿」は家康公から召されて出立することになる。その時、女房達に言われたのが「城中にいた者には、女だからといって免除されることはない。いざという時は覚悟するように」と。…しかし、出立される前に事態は終息し、「城内にいる者も、出た者も、女の子らは、どこへでも送りつかわす。」という上意(将軍命令)が出たので、皆喜ぶ。…(以下、省略)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○まとめ
自害した女房衆の筆頭が於菊。数千人の女房(上臈・中臈・下臈ら)のトップとして責任をとった。→責任をとって自害したことで、多くの女房衆が脱出することができたと思われる。

★『おきく物語』からみる「おきく」の姿
・気転を利かせ、自分の身は自分で守っている。…帷子三つ、下帯三つと(たくさんの着物)を着る。「竹つづみ」(お金)懐中に持ち、イザという使う。など。
・仕える先を自分の意志で決定…(淀殿→要光院殿(お初)→龍子(京極))
・知人たちのつながりが身を支えた。
・「中臈」おきくは脱出も可能であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
**あとがき**
・今年と来年は「大坂の陣400年」(平成26年は「大坂冬の陣」から400年、平成27年は「大阪夏の陣」から400年という節目)を迎え、いりいろなイベントが企画。二人のおきくの物語はタイミングよいテーマで、女房からみた大坂城の落城は理解を深める機会となった。…「滅亡、落城」のイベントは、大阪ならでは。(築城、開城を記念してイベントというのが一般的であるが。)
・尚、今回のテーマは、まだ未発表で、近く、論文に発表されます。(田端先生)