「時実新子と現代川柳」

(%紫点%)後期講座(文学・文芸コース)(9月〜1月:全13回講義)の第9回講義の報告です。
・日時:12月4日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:時実新子と現代川柳
・講師:平井美智子先生(大阪市生涯学習インストラクタ−)
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*講義の復習*(右上の写真は時実新子さん−「時実新子展」〈2011年徳島県立文学書道館で開催〉のパンフレットから-)
時実新子(ときざねしんこ)(1929−2007年)。川柳作家。新子流川柳として、その奔放な詠みぶりは川柳界の与謝野晶子と呼ばれ、川柳を文芸に高め、川柳選者やエッセイストとしても活躍。
★第一回(H25年12月5日)「時実新子の魅力とわたくし初の川柳」
・年代順に代表作を詠む。
・「いつも「わたくし発」で、だれか一人に向けて作ること。その人だけに向けて書き、大向こうを意識しないことです。本音を吐きましょう。・・・」(時実新子のハッピー川柳塾・テキストより)
★第二回(H26年5月15日)「時実新子・その愛」
・「夫への愛」、「娘・息子への愛」、「父への愛・母へ愛」、「恋人への愛」を詠む。

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(%エンピツ%)講義の内容
前付句から現代川柳への道
「古川柳」(江戸時代)→「狂句」→「明治新川柳」→「新興川柳運動」→「川柳復興(六大家全盛時代)」→「現代川柳」
・古川柳の三要素… 「穿ち」、「軽み」、「笑い」
・新興川柳時代(大正末年〜昭和初期)…戦争協力派と戦争批判派
手と足をもいだ丸太にしてかえし」(鶴彬〈つるあきら〉)
・川柳の六大家(明治に生まれ、昭和40年前後に相次いで世を去る)…前田雀郎、麻生路郎、岸本水府、村田周魚、川上三太郎、椙本紋太
俺に似よ俺に似ぬなと子を思い」(路郎)
恋せよと薄桃いろの花が咲く」(水府)
大笑いした夜やっぱり一人寝る」(紋太)
・現代川柳…個性化・多様化の時代へ.。「女性川柳作家の台頭」、「サラリーマン川柳」、「シルバー川柳」、「大阪弁川柳」など。

女性川柳作家(*句は抜粋)
田頭(たがしら)良子(1928(昭和3)年大阪市西区生まれ。昭和48年より川柳始める。梅田番傘川柳会会長。)
淋しい淋しいと拗ねたわりには肥えている
ちょっとあんた仏間へ母に座らされ
面白い人だが沸騰点がない
(評)田辺聖子氏「…田頭さんの句風は多彩で、市井人の社会風刺として腰の据わった佳句も多い。」

森中恵美子(1930(昭和5)年神戸市生まれ。昭和26年より創作開始。番傘本社同人・新聞川柳欄の選者ほか)
子を産まぬ約束で逢う雪しきり
貧乏は嫌だ嫌だと化粧する
偲ぶ日も乾杯の日も過去になる
(評)定金冬二氏「恵美子川柳は、十七音字のリズムが実にスムーズである。恵美子は貧しさの中で育ってきた。…したたかに生きる「長屋のお咲きさん」的句柄が人を惹きつけるのであろう。」

◆長島敏子(1944年(昭和19)兵庫県生まれ。昭和58年より川柳を始める。ふあうすと川柳社理事など)
君の髪触れた指先からさくら
これも愛真っ直ぐ嘘をつき通す
さよならの背中に何を足したとて
(評)赤井花城氏「長島敏子作品は内面と外面を衒(てら)いなくさらけだした素顔の作品である。…」

時実新子(1929(昭和4)年岡山市生まれ。25歳で新聞に投句から川柳を始める。)
・(評)田辺聖子氏「新子川柳は珠玉にして匕首(あいくち)の句集」
・新子のワードは、「愛」、「怨念」、「死」。新子は愛情をバネにして句を作った。そして、性愛の歌を衒いなくはっきりと歌っているのは新子。
愛咬やはるかはるかにさくら散る
妻を殺してゆらりゆらりと訪ね来よ
どうぞあなたも孤独であってほしい雨」(自分と同じように孤独であってほしい)
よく笑う妻に戻って以来 冬」(本当の笑いではない)
嫌いぬくために隙なく装いぬ」(勝気な女である)