「古墳時代の中国情勢」

(%緑点%)後期講座(歴史コース)(9月〜1月:全15回)の第14回講義の報告です。
・日時:1月13日(火)am10時〜12時
・会場:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:古墳時代の中国情勢
・講師:来村 多加史先生(阪南大学教授).
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1.年表(日本と中国)(*右の資料を参照)
◆【中国】:「秦」(BC221〜206)全国を統一→すぐに滅亡して漢の成立。「前漢」(BC201〜後8)→「新」と「後漢」(8〜220)→曹丕が「魏」を樹立(220)。劉備、孫権も即位して、三国時代(魏・呉・蜀)→280年「西晋」が中国統一→西晋は316年、北方異民族の侵入により滅亡。中国は百数十年におよぶ「五胡十六国時代」に突入。華北の漢人たちは江南に移動。→439年、遊牧民の鮮卑族が建てた「北魏」が五胡十六国時代に終止符をうった。その結果、北の統一王朝と南の王朝が対峙する「南北朝時代」に入った。→北朝から出た「隋」によって統一(589)。
◇【日本】:弥生時代前期から中期→(倭が100余りの国に分かれていた。〈『漢書』地理志〉.)→弥生中期から後期へ移行。(57年:倭の奴国が後漢に朝貢し金印を賜る)→倭国大乱(146〜189)〈『後漢書』東夷伝〉→弥生時代から古墳時代へ→(239年卑弥呼が遣使し親魏倭王となる)→266年倭女王壱与(いよ)が西晋に遣使→366年百済王が七支刀を倭王に送る→413〜462年倭の五王が宋に遣使

2.三世紀〜五世紀(日本・中国・朝鮮)の動向(*右の資料を参照)
○三世紀
【日本】倭国(邪馬台国)…邪馬台国の女王卑弥呼が倭国の王として共立される。
【中国】三国時代…220年魏王朝が成立し、三国時代へ
【朝鮮】3世紀初め高句麗が国内城へ遷都。238年朝鮮南部、三韓時代(馬韓。弁韓・辰韓)へ
○四世紀
【日本】大和政権(大和)。大和王権の支配拡大が進み、大型の前方後円墳が築かれる。
【中国】316年五胡十六国時代へ(北:異民族、南:漢民族)。仏教が広がる
【朝鮮】313年楽浪・帯方郡が滅び、三韓が百済・新羅・伽耶へ成長。369年百済王が七支刀を倭王に贈る(「石上神宮」)。399年高句麗好太王が倭軍を撃退する。
○五世紀
【日本】大和政権(河内)。倭の五王(讃、珍、済、興、武)が宋に遣使。
【中国】北魏が華北を統一(439年)、南北朝時代。
【朝鮮】高句麗と南の新羅、百済.、その間の伽耶が共存。高句麗の南下政策が繰り広げられ、新羅は受け入れたが、百済と伽耶は抗戦し、それに倭国は援軍を送るという関係が.続いていた。475年百済の都(漢城)が高句麗に攻め落とされ、熊津に都を遷す。

3.五胡十六国の興亡史(*右の資料を参照)
・匈奴(きょうど)、鮮卑(せんぴ)、羯(けつ)、氐(てい)、羌(きょう)の五つの遊牧民族(五胡)は、北方・西方から中原(ちゅうげん)(黄河中・下流域)に進出。遼東には鮮卑、河北には匈奴・羯、西域は羌と氐。一方、漢民族は江南に移動。
・南北朝時代…華北は五胡十六国と称せられる遊牧民族の多くの王朝の興亡(北朝)。江南は、東晋、宋、斉、梁、陳と漢民族の王朝が続く(南朝)。北魏が華北を統一(439年)したことにより、いわゆる「南北朝時代」→「隋」で統一(589年)。

4.出土品にみる日本・中国・朝鮮の交流
藤の木古墳鞍金具の源流(*右の資料を参照)
藤の木古墳(奈良県斑鳩町)(直径50mの円墳)の副葬品から出土した金銅製鞍金具(くらかなぐ)は、繊細な細工をしたもので他に例をみることのないほど見事なもの。すぐれた意匠や技術から、中国の三燕文化の伝統そのまま踏襲している。
官僚制度の波及(資料は省略)
中国の官僚制度は、日本の古墳時代は官僚制度そのものが未発達のため、同時期にはそのまま受容されなかったが、邪馬台国の使者は魏王朝から官職を与えられ、倭五王時代の使者たちは、南朝の宋や斉から官職を授けられていた可能性も高い。
・新山古墳(奈良県広陵町・古墳時代中期頃)の出土品「金銅製帯金具」は、男が腰につけるもので、類似した点などから中国との交流があったと思われる。

**あとがき**
・日本・中国・朝鮮は、古くから人や文物が往来し、密接にかかわりあいながら発展してきた。
★≪BC200年〜200年≫…中国に漢民族国家が成立すると、北方の異民族や古朝鮮との抗争が始まる。朝鮮半島北部に高句麗が興る。日本ではまだ統一国家と呼べる国はなく、各地の豪族がそれぞれ大陸と交易をおこなっていた。
★≪200年〜600年≫…三国時代、五胡十六国時代、南北朝時代と中国では乱世が続き、朝鮮半島では高句麗に続いて百済、新羅が興り覇を争う。日本の大和政権は伽耶国から鉄を入手し、勢力を拡大。
・倭国の存立、結合維持のためには、朝鮮半島を通じて、中国王朝と通交することが不可欠であった。
・中国の魏晋南北朝時代が、日本の古墳時代にあたる。
・仏教が本格的に中国に定着するようになったのは、西域とのつながりの深い遊牧民たちが、華北を支配した五胡十六国時代からである。やがて、仏教は朝鮮から、日本へ伝播する。