「日本の古代都城について」

(%緑点%)後期講座(歴史コース)(9月〜1月:全15回)の第15回講義の報告です。
・日時:1月27日(火)am10時〜12時
・会場:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:日本の古代都城について
・講師:佐藤興治先生(奈良文化財研究所名誉研究員)
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1.宮から都城へ
・歴代天皇の居所(御屋:みや)…○○宮、一代一宮、(例)仁徳・高津宮
・飛鳥諸宮(四つの宮がほぼ同地に営造)…推古593(豊浦宮・小治田宮−「宮に朝庭、閤門、南門の造営」→舒明629(岡本宮)→皇極642(板蓋宮−「十二通門、朝堂、大極殿、衛門府の造営」
・難波宮(京) (孝徳645)…「前期難波宮は隔絶した規模・構造を持つ朝庭・朝堂(八堂)」。以後、内裏・朝堂院の原型として引き継がれていく。

2.本格的な都城へ
◎宮都の変遷…藤原京(持統694)→平城京(元明710)→恭仁京(聖武740)→後期難波宮(聖武744)→長岡京(桓武784)→平安京(桓武794)
藤原京
・中国都城の原型[北魏・洛陽城、東魏・鄴城]を最初に取り入れた。
・京域…東西1.8km、南北2.7km(大藤原京の存在?)
・朝堂院、大極殿、内裏の位置は難波宮を踏襲。
・左京、右京、東西市、寺院
・町は中国式の固有名ー「林坊」、「左京小治町」ーが使われている。
平城京
・京域…東西4.3km、南北4.8km。藤原京の約4倍。
・中国風(長安)宮殿に似せた大極殿院の採用。
・町は、何条南坊という数字・バックナンバー式。(例)左京三条二坊六坪
平安京
・京の中央北には、内裏・大極殿・朝堂院。京内は南北九条半、東西八坊で、条坊の一つの升目は(町)は、40丈(120m弱)に統一。朱雀大路の南端には羅城門を置き、その東西には東寺(とうじ)と西寺(さいじ)があり、鎮護国家を祈願。(寺院を制限した)。

3.日本の都城の源流(関係の深い中国の都城)
北魏・洛陽城(493〜534)
・内城・外城・市外からなる。内城は南北に長い。
・難波宮、藤原宮との類似
東魏・鄴京城(534〜549)
・宮殿の前面に官庁を集中させた最初の例。
隋唐・長安城(582〜904)
・隋・大興城を唐に改築・拡大
・宮城(宮殿)・皇城(官庁区)・外郭城(東西9721m、南北8651)からなる。
・平城京との類似。

都城の源流
「日本の平城京は唐の長安城を模倣したもの」という説があるが、日本の都城は平城京に始まるものではなく、その前に、藤原京や難波京がある。藤原京の源流を長安城に求めることは困難で、むしろ隋唐以前の北魏の洛陽城や東魏の鄴京城に近い。
日本の都城の特徴
「外からの侵攻に対する防禦が全くない。中国のように、城壁を四周にめぐらすことなく、羅城はあるとしても一部分に限られまったく形式的なもの。また、古代朝鮮三国の都は、多く背後や周辺に防御や退避のための山城を有しているが、日本では〝高安城”にみられるだけである。(しかし、大宰府は朝鮮式都城の形態を有している)」

まとめ
・1960年代に始まった日本の宮殿・都城の遺跡調査は、多くの成果が上がって、中国の都城遺跡調査、韓国の百済・新羅の都城遺跡調査にも刺激を与えている。
・このような中で、比較資料が多くなるほど、同じ設計図でつくられた都城は存在しないとわかってきた。
・日本の都城制の導入は、遣唐使によるところが大きく、その情報は、取捨選択して取り入られた。(日本は必要なものは取り入れ、重要でないものは簡素化した。)
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(%緑点%)平成26年後期講座(歴史コース)(全15回)は1月27日で終了しました。
講師の先生並びに受講生・聴講生の皆様に厚く御礼申し上げます。
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(%エンピツ%)湯川さん、後藤さんが殺害されるというイスラム国という不可解な事件に影響され、1月末日からブログを作成する気になれず、今日(2月6日)の掲載と遅くなりました。 (常本)