『平家物語を読む』〜高倉天皇が愛した女性〜

(%紫点%)後期講座(文学・文芸コース)(9月〜1月:全13回)の第13回講義の報告です。
・日時:1月29日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:『平家物語を読む』〜「小督」〜(高倉天皇が愛した女性)
・講師:四重田 陽美先生(大阪大谷大学教授)
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*平家物語(巻第六)−平清盛、高倉天皇「略年表」
平家物語は全12巻。巻第六では高倉上皇と清盛の死が語られる。
【平清盛】
・1118年:平忠盛嫡男として生まれる。1156年(保元の乱)、1159年(平治の乱)で清盛は平家繁栄の基礎を作る
・1167年:太政大臣。1168年:出家。1180年:以仁王、平家追討の令旨
・1181年:閏二月四日、清盛逝去(64歳)
【高倉天皇】
・1161年:誕生(第七皇子)父は後白河天皇、母は清盛の義妹の平慈子
・1168年:高倉天皇即位(8歳)
・1172年:平清盛の娘徳子を中宮に迎える。徳子、言仁親王(のちの安徳天皇)出産
・1180年:譲位、安徳天皇即位(2歳)
・1181年:二月六日、崩御

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○『平家物語を読む』巻第六ー「新院崩御」、「葵前」、「小督」
新院崩御(しんいんほうぎょ)(*右の資料を参照)
(要約)「治承五年一月四日、高倉上皇が六波羅の頼盛邸で亡くなられた。ご治世は12年、院の生前の逸話が物語られる。《世を治め民を安楽にする昔の仁政の跡を継ぎ世の中を治めなさった。》…遺体は、東山の麓の清閑寺で荼毘に付された。高倉上皇は御年二十一、末代の賢王でしたから、世人が惜しみ申し上げる事は、月日の光を失ったようである。」
☆「雲の上に 行末遠く 見し月の 光きえぬと きくぞかなしき」(建礼門院に仕える女房)
(意訳)(宮中で将来長くお栄えになると思ってみていた上皇が、お亡くなりなったと聞くのはなんと悲しいことか)

葵前(あふひまへ)(*右の資料を参照)
(要約)「中宮徳子にお仕えする女房が召し使う上童(しょうどう)のひとりが、高倉天皇の目に止まったのである。天皇の愛情が深かったので、主人の女房もこの上童を召し使わず、主人のごとく大切に扱った。…その上童の名を葵前といったので、葵御前などとささやいていた。天皇はこれをお聞きになって、その後は葵前をお呼び出しにならなかった。…葵前は、〈気分がすぐれなくなった〉と言って、宮中から実家に帰り、病を臥すこと五、六日で亡くなった。」
☆「しのぶれど 色に出にけり 我が恋は 物や思ふと 人のとふまで」(高倉天皇)
(意訳)(私の恋は、内緒にしていたのに、顔色に出てしまったなあ。.物思いをしているのかと人がたずねるほどに)

小督(こがう)
(1)小督が召される( *右の資料を参照)
(要約)「主上(高倉天皇)は亡き葵前を忘れられず恋慕に沈んでいる。中宮徳子は思案して宮中一の美人であり、琴の名手の小督と申し上げる女房を差し上げる。…その小督は藤原隆房卿が、まだ少将だったとき恋人であった。今は、その小督が主上に召されて、逢えなくなり、.どうすることもできない。隆房卿はもしか返事をしてもらえるかと期待して、一首の和歌を詠んで、小督のいる御簾の中に投げ込んだ。」
☆「たまづさを 今は手にだに とらじとや さこそ心に 思ひすつとも」(藤原隆房)
(意訳)(手紙をもう今は手にさえ取るつもりもないということなのか。それほど私のことを思い捨てたとしても、手紙ぐらいは取ってくれてもいいのに)
(2)清盛、小督を憎む。小督は.嵯峨野に姿を消す(資料は省略)
(要約)「高倉天皇の中宮も、隆房卿の妻も、清盛の娘である。清盛は二人の娘婿をとったと小督を憎む。〈小督がいる限り世間にもよくないだろう。召し出して、亡き者にしてしまおう〉。小督は、これを漏れ聞いて、〈自分の身はどうでもよいが、天皇さまの御ためにお気の毒だ〉と思って、ある日の夕方、内裏を出て、行方もわからないように姿を消した。」

(3)高倉天皇、仲国に行方をさがさす。(*資料は省略)
(要約)「こうして八月十日(中秋)になった。天皇の目には涙。夜が更けて、天皇が、≪誰かいる、誰かいる≫とよぶ声を宿直の源仲国が聞きつけた。〈小督は嵯峨の辺で、片折戸というものを付けた家の内に.いると申すものがある。捜し出してほしい〉。…仲国は、琴の名人小督ゆえに、月の美しさに誘われて弾いていようと、琴の音を頼りに在り処を探し出そう。…馬に乗って出かけた。」
(4)嵯峨に小督を探す(*右上の資料を参照)
(要約)「馬を引きとめ馬を引きとめて、聞いたけれども、琴を弾いている所もなかった。御堂や釈迦堂をはじめいくつかの仏堂を見廻ったが、小督に似た女房さえ見えなさらない。…どうしようと仲国は思い悩んだ。法輪寺の方へ向かって、馬を歩かせた。…嵯峨野の亀尾山のあたり近く、かすかに琴の音が聞こえた。…小督殿の琴の爪音である。想夫恋という楽曲である。仲国は戸を押して中に入った。…仲国は、急ぎ小督の消息を天皇に知らせ、内裏へと連れ帰った。…天皇は小督を人目につかない所に住まわせて、毎夜お呼びになっているうちに、姫宮がお一人お生まれになった。」
(5)小督捕えられ、尼にして追放(*資料は省略)
(要約)「清盛は漏れ聞いて、小督を捉えて尼にして追放した。高倉天皇は、このようないろいろな事のために病気になられて、お亡くなりになったと噂がたった。」
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**あとがき**
・『平家物語』は軍記のメインな話に、この「小督」のような面白い話が、ブドウの房のようにあります。(四重田先生)
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(%紫点%)平成26年後期講座(文学・文芸コース)(9月〜1月:全13回)は1月29日で終了しました。
講師の先生並びに受講生・聴講生の皆様に厚く御礼申し上げます。
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