(%紫点%)前期講座(文学・文芸コース)(3月〜7月)の第6回講義の報告です。
・日時:5月14日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:芭蕉『奥の細道』の旅空間(五)〜須賀川・安積山・信夫の里・飯塚の里〜
・講師:根来 尚子先生(柿衞文庫学芸員)
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*前回までの復習*
芭蕉が門人の曾良を伴って、みちのくの旅に出たのは、元禄二(1689)年。その時、芭蕉46歳、曾良41歳。江戸・深川を出発し、下野・陸奥・出羽・越後・越中・加賀・越前の各地を歴遊し、8月に美濃の大垣に到着。その間150日、全行程約600里(2400km)。
■第一回…旅立ち〈3月27日(陽暦5月16日)〉、江戸・深川から「千住」、「草加」
(序章)「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。…」
(旅立ちを詠んで)「行く春や 鳥啼き魚の 目は泪」
■第二回…「室の八島」、「日光」
(日光で詠んで)「あらたふと 青葉若葉の 日の光」
■第三回…「那須野」、「黒羽」、「雲岩寺」
(雲岩寺で詠んで)「木啄(きつつき)も、庵はやぶらず 夏木立」
■第四回…「殺生岩・遊行柳」、「白河の関」
(遊行柳で詠んで)「田一枚 植えて立ち去る 柳かな」
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(%エンピツ%)講義の内容
○第五回…白河の関から「須賀川」、「安積山・信夫の里、「飯塚の里」
(一)須賀川(右の資料を参照)
芭蕉は、白河の関での章段では、自分の句を残していない。次の目的地である須賀川に俳人等窮(とうきゅう)を訪ねた時、白川の関でどんな句を作ったかをたづねられた。
・(現代語訳)【白河の関を越えて…(中略)…須賀川という宿駅に等窮という人を訪ねて、四・五日引きとめられた。等窮はまず第一に「白河の関越えではどんな句ができましたか」と聞いてきた。「長旅で心身とも疲れていたうえに、あたりの素晴らしい風景に気をとられ、しかも古歌や故事などを思い浮かべて精いっぱいでしたから、作句の余裕がありませんでした。全然一句も作らず、関を越えるのも、やはり心残りなので、やっとこの一句を詠んだのです。】
「風流の 初(はじめ)やおくの 田植うた」(芭蕉)季語:田植うた(夏)
*「風流の」句の解釈…等窮への挨拶として、みちのくの田植歌を聞いた感動を詠んだ(白河の関を越えて、いよいよ奥州の地を踏んで、風流の最初のものとして、鄙びた田植歌を興趣深く聞いたことであるよ)。
・後半にみえる「栗の木陰をたのみて世をいとふ僧」可伸のような隠閉な生活を営んでいる人物に、芭蕉は好意を寄せて詠んだ。「世の人の 見付けぬ花や 軒の栗」(芭蕉)
(二)安積山・信夫の里−しのぶもじ摺(ず)りの石
(現代語訳)【前半は、古歌に名高い安積(あさか)の沼の[花かつみ]を探し求めたさまが叙述。後半も歌枕として著名な「しのぶもじ摺りの石」を尋ねた。…宿場から遠く離れた山陰の小さな村里の中にその石はあって、半分土中に埋まっていた。村の子供がやってきて「昔はこの山の上にあったのですが、往来する人が畑の麦の葉を取り荒らして、この石に摺り付けてためしたりするのを、村人がきらって、石をこの谷に突き落としてので、石の表面が下向きになって横たわったのです。」と教えてくれた。子供が教えてくれた土地の伝承に対して、そんなこともあるのであろうか、悲しいことだ。】
「早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺り」(芭蕉)季語:早苗とる(夏)
*「早苗とる」の句の解釈…苗代で早苗を取って泥を洗い落として束ねるというしぐぐさに、しのぶもじ摺りの昔を偲んだ句。
・しのぶもじ摺り…「もじ摺」とは、布を模様のある石の上にあて、忍ぶ草などの葉や茎の緑のままを布に摺り込んで染めたもので、その模様がもじり乱れていたので、「もじ摺」と呼んだらしい。
(三)飯塚の里−芭蕉が涙した佐藤一族の菩提寺
(芭蕉が涙した佐藤一族の菩提寺)「奥州・藤原秀衡の郎党で、信夫郡を管理した佐藤元治(基治)。息子の継信、忠信は、義経の忠臣として武勲をたて壮烈な最期を遂げた。2人の息子を失って深い悲しみに沈む親に、息子の嫁二人が、甲冑を着て、夫の凱旋姿を見せて慰めたという話が伝わる。…医王寺(福島市・飯坂温泉)に、芭蕉の詠んだ句碑がある・
「笈も太刀も 五月に飾れ 帋幟(かみのぼり)」(芭蕉)季語:帋幟(夏・五月)
・「笈も」の句の解釈…端午の節句も近づいてあちこちで紙幟が立てているが、この寺には≪義経の太刀・弁慶の笈があるのだから≫、笈も太刀も飾ってもらいたいものだ。
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**あとがき**
芭蕉の「おくのほそ道」の旅の大きな目的の一つは、古人(西行、能因など)が詠んだ歌枕や、ゆかりの旧跡・名跡を訪れることでした。今日の講義で出てきた歌枕は多い。「あふくま」川、「会津根」(あひづね)−磐梯山の歌枕」、「あさか」山、「しのぶもじ摺」など。「おくのほそ道」が歌枕遍歴といわれる理由がうなづける章段でした。