記紀で読む大和の神話伝説〜三輪山をめぐる神話と伝説

(%緑点%)前期講座(歴史コース)(3月〜7月)の第10回講義の報告です。
・日時:6月2日(火)am10時〜12時
・会場:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:記紀で読む大和の神話伝説〜三輪山をめぐる神話と伝説
・講師:来村 多加史先生(阪南大学教授)
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欠史八代
神武天皇の東征から、神代から人代が始まる。大和を征服した神武天皇(イワレビコ)のあと。…皇位を継いだ第2代・綏靖(すいぜい)天皇から第9代・開化(かいか)天皇までの8代は、記紀ともに享年や妻子、宮殿の場所などが簡単に書かれているだけで。事績がほとんど伴わない、詳細は謎に包まれている。よって、この八人の時代は、「欠史八代」(けっしはちだい)と呼ばれている。

崇神・垂仁・景行紀は、神話と歴史を結ぶ役割
神武天皇以来、欠史八代の時代を経て、第10代の崇神天皇から、記紀は再び歴史的な記述に戻る。とはいえ、記述には伝説が多く含まれる。記紀は「神話」「伝説」「歴史」と3段階で構成され、伝説の多い崇神・垂仁・景行天皇は神話と歴史を結ぶ役割をしている。伝説の舞台は大和にあり、とりわけ三輪山の周辺に集中している。
★三輪山周辺の宮跡伝承地と天皇陵
崇神天皇の磯城瑞籬宮(しきのみずがきのみや)(桜井市)、垂仁天皇の纏向珠城宮(まきむくのたまきのみや)(桜井市)、景行天皇の纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)はいずれも三輪山の周辺に伝承地がある。

『日本書紀』崇神紀に記す三輪山伝説(右の資料を参照)
天地二神を宮外に祀る
「崇神天皇の六年、農民が流亡するもの、あるいは反乱する者も出て、その勢いは政治では制しえない困難にした。そこで、天皇は朝夕、天地ニ神に謝罪の祈りを行う。これより先、天つ神(天照大神)と国つ神(倭国魂)の二神を、天皇の御殿の内にお祀りした。ところが、それぞれの勢威におそれ、共に住むには不安があった。それで、天地ニ神を宮外に祀る。」
大物主神の登場−疫病の流行
崇神天皇の七年に詔して、「神武天皇が大和国の建国をし、その後歴代の王風は盛んであった。ところが、不本意なことに、今わが世になって、しばしば災害にあった。そこで天皇は、神浅茅原(桜井市茅原村)に行幸されて、占いをされた。このとき、ヤマトトトビモモソヒメノミコトに神(大物主神)がのり移って、《天皇は何を憂うることがあろうか。私を祭ればよい》。いわれるとおりにお祀りしたが効き目がなかった。…夢の中に大物主神が現れ、《私の子である大田田根子(おおたたねこ)に私を祀らせれば、災いは鎮まるであろう》。
大田田根子の出生秘密
崇神天皇は、「大田田根子を探させ、茅渟県(ちぬのあがた=和泉国)の陶邑(すえむら=泉北丘陵)で見つける。大田田根子は、父が大物主神、母が活玉依媛(いくたまよりひめ)という。」
大物主大神と大国魂神を祭る
「大田田根子を、大物主大神を祀る祭主とした(三輪氏の祖となる)。また長尾市を倭の大国魂神を祀る祭主とした。・・・ここで疫病ははじめて収まり、国内はようやく鎮まった。」
★大物主神は、、祟りの神(病気を流行らせる神)でもあり、反面、篤く祀れば病気をも鎮圧し、万民を安泰に導いてくれる神である。
★崇神天皇が三輪山の神を祀る伝承は、大和で政権を樹立した天皇家が、大和の土地神である大物主神を祀ることを意味している。…大神神社の西北には初期大和王権の王宮跡と目される纏向遺跡が広がり、その一郭には最古の巨大前方後円墳である箸墓古墳がある。

三輪山古絵図(桃山時代)に見る大神神社
三輪山は古代から信仰の山で、聖なる山、神南備山、大和のシンボル的な山。標高467m、古事記や日本書紀には、御諸山、三諸山などと記される。古絵図では全景は三つの峰に分かれて描かれる。大神神社の拝殿周辺、檜原神社、神仏習合時代を伝える神宮寺(大御輪寺(若宮社)、平等寺)など描かれている。
■「大神神社」(おおみわじんじゃ)
背後の三輪山を御神体とする日本で最も古い神社の一つといわれる。拝殿・神門(三つ鳥居)のみで、神殿を持たず、山を含めた境内には古杉が残り、多数の摂社・末社がある。祭神は大物主大神、大己貴神(おおなむちのかみ=大国主の別名)、少彦名神(すくなひこなのかみ)。
◆大直禰子神社(若宮社)(おおたたねこじんじゃ)
祭神大直禰。.明治時代までは大神神社の神宮寺「大御輪寺(だいごりんじ)」。明治の廃仏毀釈で廃却されるのを逃れるために神社に衣替えして、大直禰神社となる。
◆平等寺
聖徳太子創建と伝えられる。明治時代に廃仏毀釈で廃寺になったが、昭和52年(1977)に復活した。
◆檜原神社
大神神社の摂社で、祭神は、天照大神、伊弉諾、伊弉冉。ここも本殿は無く、三輪山を拝する三つ鳥居。元伊勢と称される。春分、秋分前後の夕日が二上山に沈む夕景は絶佳。