「弘法大師入唐の風景」

(%緑点%)前期講座(歴史コース)(3月〜7月:全15回講義)の第13回講義の報告です。
・日時:7月7日(火)午後1時〜3時
・会場:高野山・報恩院
・演題:弘法大師入唐の風景
・講師:近藤堯寛先生(高野山櫻池院住職)
・参加者:41名
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今年(平成27年)は、高野山開創1200年です
・高野山は、弘法大師(空海)が、弘仁7年(816年)に嵯峨天皇により賜り、真言密教の根本道場ととして開創。…空海は伽藍の完成を見ずに承和2年(835年)に入定。…延喜21年(921年)醍醐天皇が「弘法大師」号を贈る。
*右上の絵は、「御影大師」静慈圓(高野山霊宝館長) 画。(弘法大師像が御影大師、修行大師、渡海大師、厄除大師など、さまざまな尊像として礼拝されています。)

空海入唐の風景
遣唐使の船で唐に渡る。…空海は三十一歳の時、延暦23年(804年)7月に肥前国田浦(たのうら)から唐に向けて出帆。船出早々に暴風雨の襲来、漂流のあと、中国・福州赤岸鎮(せきがんちん)に8月に漂着。
・上陸への陳情書…福州ではなかなか入国の許可がおりない。空海は遣唐大使の代筆で書状を書き、交渉の末、上陸を許される。
賀能啓(もう)す 高山澹黙(たんぱく)なれども 禽獣労を告げずして 投(いた)り帰(おもむ)き」(性霊集五)
(意訳)(賀能大使が申しあげます。高山はなにもいわないけれど、鳥や獣は苦労をいとわず登っていくきます。そのように、中国にはすばらしい文物があるから、危険をおかしてまで、恐ろしい東シナ海を渡ってくるのです。」という書き出しで始まっている。福州の知事は見事な筆跡と文章内容に感嘆し、拘束を解き、歓待した。
・第16次遣唐使の編成は4艘の船で550名。最澄も乗っている。第一船(賀能大使、空海、橘逸勢ら120名)、第二船(最澄ら)、第三船・第四船(録事、通訳、医師ら)。唐に到着したのは、第一船と第二船のみ。第三船は吹きもどされ、第四船は行方不明。
南船北馬。…遣唐使一行23名は福州を11月3日に出発し、唐の都・長安をめざし、50日間の長い大陸・2400キロの旅(中国では、古代から南の地方は船で移動し、北の地方は馬で移動するという「南船北馬」の旅です)。12月23日目的地の長安に.たどり着く。当時の長安(現在の「西安(シーアン)市」)は東西9km、南北8kmの城壁に囲まれ、人口100万人の大都会。
・記念行事「空海・長安への道」(昭和59年弘法大師御入定1150年御遠忌大法会)…近藤先生は8名の団員として参加し、中国大陸2400kmの道を追体験。昭和59年2月26日、高野山を出発し、長安に4月7日に到着。(右上の写真は、そのときの福州・赤岸鎮の海岸風景)

恵果阿闍梨に会う
空海は、長安の青龍寺に恵果阿闍梨を訪ねる
・空海と出会ったときの恵果の言葉
私は(恵果)は、汝(空海)の訪問を知って待ちかねていた。こうして対面できたことは非常に喜ばしい。私の命は尽きようとしているが、密教を伝える弟子に苦慮していた。早く受法の準備を整えて灌頂壇にのぞんでほしい。」(請来目録)
(注)恵果阿闍梨(けいかあじゃり)…中国の密教僧。初対面で空海こそが次の伝承者であることを悟り、法を正式に伝えるための儀式である灌頂(かんじょう)を行ったという。

空海、2年2か月で帰る
入唐留学二十年という誓約を破って帰国したために、死に値する重罪であろう。しかし、私は得難い真言密教を授かり、再び恐ろしい海を越えて密教を輸入できたことを心より喜んでいる。」(請来目録)
・帰国した空海は、請来した経典・絵画・彫刻・仏具などをまとめた「御請来目録」を作成、朝廷に提出した。
・空海は師(恵果)の命により、留学期間を2年ほどで帰国した。国内の諸事情からしばらくの間、九州に足止めされる。…大同4年(809年)に嵯峨天皇が即位。唐から密教をはじめとする最先端の文化を持ち帰った空海に興味を示す。

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(%青点%)高野山散策
・日時:7月7日(火)10時〜12時半(昼食を含む)
・コース:苅萱堂−不動院-金剛峰寺−壇上伽藍 (「根本大塔」、「金堂」、「御影堂」、「中門」など)
・参加者:21名
・スタッフ:佐藤リーダー、置田
・天候:雨
不動院
高野山にある52宿坊の一つ。境内には、鳥羽天皇の皇后・美福門院得子(のりこ)の御陵(右上の写真)がある。美福門院は遺令により遺骨は高野山に納められた。この時、女人禁制である高野山ではその妥当性が問題になった。
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**あとがき** スタッフ4名(栃尾・中野・前田・常本)、宿坊に宿泊
前日(7月6日)櫻池院・宿坊に泊る(1泊2食で15,000円)
・午後3時頃、「一の橋」(奥の院入口)をスタートし、「中の橋」を通り、「奥之院弘法大師御廟」まで約2km歩く。…戦国武将の墓(武田信玄、上杉謙信、伊達政宗、薩摩島津家、石田三成、織田信長、明智光秀、豊臣家、徳川家など)、法然上人供養塔、親鸞聖人供養塔、関東大震災供養塔、芭蕉句碑、司馬遼太郎文学碑、.与謝野晶子歌碑など宗派を問わない墓碑の数々(20万基を超える石碑)、「あれこれ」語り合いながらの約2時間の散策。…夕方、宿坊に入る。
・食事は夕食・朝食とも「精進料理」。肉や魚を使わないで、季節の山菜や野菜、高野豆腐など、工夫を凝らしたヘルシーな料理。また、夜は「写経」(般若心経を写経−約1時間)(1000円)、朝は食事前に「阿字観瞑想」(呼吸法・瞑想法など約1時間)(3000円)、を体験。