『平家物語を読む』〜平清盛死去と誕生秘話〜

(%紫点%)前期講座(文学・文芸コース)(3月〜7月:全13回)の第12回講義の報告です。
・日時:7月9日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:『平家物語を読む』〜清盛死去と誕生秘話〜
・講師:四重田 陽美先生(大阪大谷大学教授)
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*『平家物語』(巻第六)「入道死去」・「祇園女御」の時代背景
平清盛(1118年−1181年)
・仁安二(1167)年:清盛、太政大臣
・仁安三(1168)年:清盛出家(51歳)。(入道相国、法名浄海)
・治承二(1178)年:高倉帝の中宮徳子(清盛の娘)、男児出産(のちの安徳帝)
・治承四(1180)年
4月:安徳帝即位(1歳4か月)
4月:以仁王「平家追討の令旨」
6月:清盛、安徳帝を奉じ、福原に遷都
8月:源頼朝、伊豆で平家追討の挙兵
・治承五(1181)年
1月:高倉帝、崩御(21歳)
閏2月:清盛、死去。

(%エンピツ%)講義の内容
○『平家物語を読む』巻第六−「入道死去」・「祇園女御」
入道死去(にふだうしきよ)(右の資料を参照)
全国で反平家の烽火が上がる。木曽で義仲が挙兵し、九州が平家に背き、四国も平家に背く。頼みの熊野の別当湛増(たんぞう)が謀反。
清盛、高熱に苦しむ
「平宗盛は源氏追討のために関東にいよいよ出発。しかし、清盛公が病気ということで延期になる。〈清盛公が重病〉…体内の熱いことは、まるで火をたいているようである。清盛公がもはやおっしゃることは「あた、あた」(熱い、熱い)とだけである。…比叡山から水を汲みおろし、石の浴槽に満たして、そこの中に入られると、水が沸き上がって、まもなく湯になった。…懸樋の水を引いて、清盛公の身体に流しかけると、炎となって燃え、黒い煙が屋敷の中に充満した。」
清盛の妻・二位殿(時子)の夢
「二位殿は夢の中で、地獄の閻魔の庁からの使いが、金銅十六丈の盧舎那仏(奈良東大寺の大仏)を焼き滅ぼした罪によって、無間地獄の底に堕ちる清盛を迎えに来たという夢を見る。」
清盛の遺言
二位殿は、清盛公の枕元に近寄って、現世に思い残しなさっていることがあったら、おっしゃってください。…清盛公はあれほど豪気であったが、本当に苦しそうで、虫の息でおっしゃったことは、「自分は太政大臣にまでなり、その栄華は子孫まで及んでいる。現世の望みはすべて叶えられ、思い残すことはない。ただ、思い残すこととしては、頼朝の首を見なかったことだ。自分が死んだ後は、仏事供養はしないで、すぐに討手をつかわし、頼朝の首を斬って、私の墓の前にかけよ。」
清盛死去
「閏二月四日、 悶え苦しみ息が絶え、地に倒れる思いで、とうとう〈あつち死〉(熱死)する。清盛公の死を知らせ、弔問する馬や牛車の走る音は、天も響き大地も揺るがすほどである。…清盛公は六十四になられた。…閏二月七日に、火葬にして、摂津国へ下り、経の島(きょうのしま)(神戸市兵庫区)に納めた。」

祇園女御(ぎおんにようご)(右の資料を参照)
清盛は忠盛の実の子ではなく、ほんとうは白河院の皇子、つまり皇統の血を引くという、生誕にまつわる秘話を語る。
「ある五月雨の夜、白河院の供をした北面の武士・忠盛(清盛の父)は妖怪に出会う。妖怪を老法師と見抜いた褒美に、院が寵愛し、身ごもっていた祇園女御を忠盛に下さった。…その祇園女御が、白河院の御子を懐妊したので、《生まれる子が女子ならば私の子にしよう。男子ならば忠盛の子にして、武士に育てあげよ》。まもなく男子を生んだ。…忠盛はこの子を自分の子として大切に育てた。…清盛の名前は、白河院が忠盛に与えた歌からつけられた。…清盛が異常な出世、遷都という容易ではない事などは、その血統によるものだ。」と説明される。

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**あとがき**
○四重田先生の『平家物語を読む』は、今回で、10回目の講義となります。
第1回「平家物語」無常〜平家物語の冒頭を読む〜(2011年1月)
第2回「平家物語」に描かれる平清盛(2011年6月)
第3回「平家物語」〜平清盛の息子重盛〜殿下乗合を中心に(2012年1月)
第4回「平家物語」〜鹿谷事件を読む〜(2012年5月)
第5回「平家物語」〜清盛の嫡男重盛〜(公開講座)(2012年9月)
第6回「平家物語」祇王〜清盛に人生を変えられた舞姫〜(2013年7月)
第7回「平家物語」〜以仁王と源頼政〜(2013年12月)
第8回「平家物語」〜清盛の悪行〜(2014年4月)
第9回「平家物語」〜天皇が愛した女性〜(2015年1月)
第10回{平家物語」〜清盛死去と誕生秘話〜(2015年7月)