「甦った姫路城」〜美しさの秘密を探る(1)


(%緑点%)後期講座(歴史コース)(9月〜1月:全15回)の第6回講義の報告です。
・日時:10月20日(火)am10時〜12時
・会場:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:甦った姫路城−美しさの秘密を探る(1)
・講師:中元 孝迪先生(兵庫県立大学特任教授)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
姫路城は、国宝であり、法隆寺とともに日本初の世界文化遺産に登録。また、平成の大修理(2009年〜2015年3月まで)が終わり、白亜の天守閣は美しさを取り戻した。…姫路城を現在に残る姿に築造したのは、姫路播磨藩主「池田輝政」。家康の命により、西側諸大名(豊臣恩顧の外様大名)たちが徳川政権を脅かすことがないように牽制するために豪壮な姿の大天守とした。
・2回にわたり、「姫路城」を題材に講義。第1回は、現在の姫路城を築城した「池田輝政」についての講義です。


○戦国武将「池田輝政」 (いけだてるまさ)
(1)系譜(*右の資料を参照)
・輝政は、1564年(永禄7)尾張・清州に生まれる。幼名は古新(こしん)。父は恒興(つねおき)。織田信長と乳兄弟。織田家の重臣としておもだった戦いにはほとんど参加。
(2)父・恒興の戦歴(信長・秀吉に仕える)
・「姉川の戦い」(1570年:織田・徳川対浅井・朝倉)→「長篠の戦い」(1575年:織田・徳川対武田)→「伊丹・花隈の戦い」(1580年:織田対荒木村重)(輝政初陣で武功)
・《本能寺の変》(1582年)…秀吉に仕え、「山崎の戦い」(1582年)、「賤ヶ岳の戦い」(1583年)で活躍。
・「小牧・長久手の戦い」(1584年〔天正12〕)秀吉対家康(引き分け。父の恒興と兄の元助が討死
(3)輝政の戦歴(秀吉・家康に仕える)
・輝政は家督を相続。翌1585年には秀吉から岐阜城を与えられ、父の城であった大垣城から移る。
・「小田原攻め」(1590年〔天正18〕)の武功で美濃から三河吉田15万石に)
★吉田城築城…三重櫓(やぐら)の多数配置(輝政の独自のデザイン)→姫路城のルーツ
☆1594年秀吉の命により、家康の娘・督姫(とくひめ)と婚儀(輝政=家康の娘婿


4)関ケ原と池田輝政
・1600年(慶長5)の「関ヶ原の戦い」では、輝政は東軍徳川方に属し、8月下旬、前哨戦の《岐阜城の戦い》で、西軍・織田秀信(信長の嫡孫)を福島正則と攻略。(東軍が勝利を得る緒口は、輝政らのこの岐阜城攻略によってまず開かれたといってよい。)
・関ケ原の戦いの本戦では、殿(しんがり)をつとめ、毛利秀元や吉川広家ら南宮山の西軍の抑えに成功。

「功績で、姫路・播磨52万石の太守に」
★西国将軍などと称された。
・池田100万石の誕生…輝政=播磨52万石、弟・長吉=因幡6万石、次男・忠継=備前28万石、三男・忠雄=淡路六万石
・家康の特命…西国防衛の拠点形成(輝政に「姫路選択」を強制)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次回(日程は未定)は、第二回「姫路城の美しさの秘密を探る」。
(内容)
①連立天守方式−日本唯一の構造
②特異なフォルム−富士山型の大天守閣
③こだわりの「白色」−城は黒が本来であるが…。
④品格と構築美−書院造の形式を導入
⑤全体構造ー視覚の良さ
⑥造営プロセス など。