『万葉集』−大伴家持を支えた「弟」−

(%紫点%)H27年後期講座(文学・文芸コース)の第7回講義の報告です。
・日時:11月5日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:『万葉集』−大伴家持を支えた「弟」
・講師:市瀬 雅之先生(梅花女子大学教授)
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**略歴**
・大伴家持(やかもち):718〜785年。旅人の長男。大伴坂上郎女は叔母。万葉集に最多の473首を収載。
・大伴書持(ふみもち):旅人の次男。兄・家持。若くして亡くなる(746年没。27歳)
・大友旅人(たびと):665〜731年。728年、大宰帥(だざいのそち)となり筑紫に赴任。和歌や漢文学に優れていた。

まさに阿吽(あうん)の呼吸で歌を詠む弟
★大伴家持は、22歳の時、ひとりの女性(妾(をみなえ)=側室)を亡くして、歌を作る。
「今よりは 秋風寒く 吹きなむを いかにかひとり 長き夜を寝む」(巻三・462)
(意訳)(いまからは秋風がさぞ寒く吹くであろうに。どのようにしてたった一人で、その秋の夜長を寝ようというのか。)
★弟、書持(ふみもち)は歌を贈ってなぐさめている。
「長き夜を ひとりや寝むと 君が言へば 過ぎにし人の 思ほゆらくに」(巻三・463)
(意訳)(秋の夜長をどのようにしてひとりで寝ることかー、とあなたがおっしゃると、私まで亡くなったあの方が思い出されます。)
*(注)家持の歌は、どうやって秋の夜長を過ごすのかと…亡き妻のことを嘆いていない。書持は、家持の歌をフォローして、亡くなった人が思い出されると歌っている。

柿本人麻呂に亡妻悲傷歌を学ぶ
★亡くなった妻を悲しむ挽歌で、有名なのは柿本人麻呂。(万葉集では亡き妻を偲ぶ歌は少ない。最初に詠んだのが人麻呂)
【長歌】「うつせみの 思ひし時に 取り持ちて 我が二人見し 走り出の 堤に立てる 槻(つき)の木の こちごちの枝の 春の葉の…(以下省略)」(巻二・210)
【短歌】
「去年(こぞ)見てし 秋の月夜は 照らせども 相見し妹は いや年離(さか)る」(巻二・211)
(意訳)(去年見た秋の月は今も変わらず照っているが、この月を一緒に見たあの子は、年月とともに遠ざかって行く。)
*(注)人麻呂は泣血哀働して妻の死というテーマを歌っている。妻の死というような私的場面とその悲しみを表現する挽歌の新領域を開拓。

父・旅人の亡妻悲傷歌(父に「歌の心」を学ぶ)
大伴旅人は、神亀四年(727)、妻・大伴郎女や家持らをともなって、大宰府に赴任。翌年の三月頃、妻に先立たれた。天平二年(730)冬12月、大宰府の任を終えて京にもどる途中および帰京後に詠んだ8首(巻三・446〜453)。
A.故人を思ひ恋ふる歌
「愛(うつく)しき 人のまきてし しきたへの 我が手枕を まく人あらめや」(巻三・438)
(意訳)(いとしい人が枕にしていた腕(かいな)、この手枕を枕にする人が亡き妻のほかにあろうか。…手枕を交わす相手のいない悲しみがこれからは続くであろうことを嘆いた。)
B.京に向かう時、道中の歌(5首)
「妹と来し 敏馬の崎を 帰るさに ひとりし見れば 涙ぐましも」(巻三・449)
(意訳)(行くときには二人して見た敏馬(みねめ)の崎に、ここを今一人で通り過ぎると、心が悲しみでいっぱいだ。)
C.故郷に帰りて、即ち作る歌(3首)
「我妹子が 植ゑし梅の木 見るごとに 心むせつつ 涙し流る」(巻三・453)
(意訳)(いとしいあの子が植えた梅の木、その木をみるたびに、胸がつまって、とどめなく涙が流れる。)
(注)旅人は、妻が亡くなって数日後に作る歌、そして帰京する途中で作る歌、故郷の家に帰って作る歌、それぞれの情感で亡き妻を詠んでいる。旅人は、天平三年(731)67歳。抒情は青年のようにみずみずしい。(旅人は、従二位大納言で731年没)
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**あとがき**
・妾(をみなめ)は、正妻.のほかの妻で、古代は一夫多妻制。
・家持の弟・書持は、歌では家持より優れていたのではないか(父・旅人の歌を継いでいた)。
・大伴家持、弟の死を遠く離れた越中で知る。「長逝せる弟を哀傷する歌」
「ま幸(さき)くと 言ひてしものを 白雲に 立ちたなびくと 聞けば悲しも」(巻十七・3958)
(意訳)(達者でおれと、あれほど言っておいたのに、白雲になってたなびいていると聞くのはせつない。)

○大伴家持について、4回シリーズで講義
第1回:「大伴家持の歌学び」(H26年6月)
第2回:『万葉集』と大伴家持(H26年11月)
第3回:奈良時代の万葉世界ー大伴家持のデビュー(H27年6月)
第4回:『万葉集』−大伴家持を支えた「弟」(H27年11月)