「中国の皇帝陵と風水思想」

(%緑点%)後期講座(歴史コース)の第7回講義の報告です。
・日時:11月10日(火)am10時〜12時
・会場:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・演題:中国の皇帝陵と風水思想
・講師:来村多加史先生(阪南大学教授)
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「風水」
風水とは、蔵風得水の略である。「蔵風」(ぞうふう)とは、風が吹き抜けず気が溜まる所を選ぶ。「得水」とは、気を止める水が横切るところを選ぶ。
・風水には宅地の吉凶を占う陽宅(ようたく)風水と墓地を占う陰宅(いんたく)風水がある。古代の風水師は、宅地や墓地を含む広範囲の地形を調べる観察者であって、地形の吉凶を占うものであった。
・とくに陰宅を重視し、最良の地を選んで父祖を葬れば、祖霊が安定するだけでなく、その一家一族が繁栄するであろうと説く。

風水点穴図(墓地の選び方) (*右の資料を参照)
・「大帳」(だいちょう)…背後の山岳地帯を大帳という。大量の気が溜まる山塊。(大きな山があると良い)
・「来龍」(らいりゅう)…尾根が伸び、龍脈によって気が噴出している丘(来龍)が墓穴を穿つ場所である。
(注)龍脈:大地の気の流れのこと。山脈の形状を指していう場合が多いが、気が流れているルートを意味する。
・「包谷」…来龍から前方二筋の尾根−左砂(ささ)と右砂(ゆうさ)−が伸びて谷をつくり、風に吹き飛ばされることなく、気は中央の明堂に留まる。(谷の奥を選ぶ)
・「水法」(すいほう)…前方を横切る川(水法)が谷の口を塞ぐような地形であればよい。(水は気をとめる)
・「案山」(あんざん)…谷の前方から吹き込む風を防ぐような丘。
・「朝山」(ちょうざん)…案山の前方には、さらに景観を安定させる山(朝山)があればなお良い。

明の太祖「朱元璋」孝陵の風水【*右の写真は孝陵の周辺地形(南京)】
・1328年生まれの朱元璋は、裸一貫の托鉢僧から、一代で統一王朝の君主となった奇跡的な皇帝。
・統一事業をほぼ終えた1381年に都である南京の郊外に寿陵を築き、皇后馬氏を先葬して孝陵と命名した。
・孝陵は、歴代陵墓の中で最も理想的な「風水の宝地」に築かれ、明清皇帝陵の模範となる。→陵は直径300m以上の大円墳で、南京を見下ろす鍾山(紫金山)の山腹にあり、両側を二重の尾根に左右を包まれ、前方近くに案山となる梅花山、遠方(11.5km)に朝山(ちょうざん)の役割をもつ土山もあり、風水の要素がすべて揃っている。
・このような選地は、南京の周辺で長らく受け継がれてきた風水術を集大成したものである。

風水の継承
◆【中国】秦・漢→魏晋南北朝→隋・唐…《風水は魏晋南北朝時代(220年〜589年)−南朝時代にいろいろな要素を取り入れ、培われて継承された。》
◇【日本】弥生→古墳→飛鳥…《風水術は5世紀初頭、南朝から百済を通して、日本に伝播》

・右は、日本における風水の影響がみられる古墳の周辺地形(一例)
・次回の講義:「日本の陵墓と風水思想」(12月8日)(講師:来村先生)
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**あとがき**
・来村先生は、1985年から88年まで北京大学(考古学)に留学。2年半に及ぶ留学期間に、南朝陵墓にかぎらず、風水術の影響下に築かれた皇帝陵をおおむね踏破された。
・参考文献:『風水と天皇陵』(来村多加史著)(講談社現代新書 2004年)