(%黄点%)後期ウォーキング(文化塾友歩会)の報告です。
・日時:12月12日(土)9時〜14時半
・【コース】:柏原駅(9時集合)−徒歩−近鉄堅下−河内山本乗換−近鉄信貴山口駅=西信貴ケーブル(約7分)=高安山駅−高安城倉庫跡−信貴山城跡−空鉢参道−信貴山・朝護孫子寺(昼食)−開運橋(13時半)−東ケーブル廃線跡−近鉄生駒線信貴山下駅(14時半頃解散) (約8km)
・参加者:14名
・天候:晴れ時々曇り(前日は強い風雨に見舞われたが、今日(12日)は良い天気で暖かい)
・スタッフ:佐藤リーダ、置田、房田
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(%エンピツ%)「高安城倉庫跡」(*右上の写真)
白村江の戦い(663年)、倭は百済に援軍を送るが唐・新羅連合軍に大敗。連合軍の来襲に備え、百済の人々の技術を用いて、朝鮮式山城を築城(日本書紀に記載)。畿内の山城、大和高安城は、記録によると667年に築城、2年後に完了し、701年に廃城になったといわれる。…昭和54年(1979)、高安山の尾根上(標高463m)に倉庫跡が発見された。しかし、石塁など明確な城郭施設は未確認。
(%エンピツ%)「信貴山城跡」
標高433mの信貴山雄嶽を中心とする山城で松永久秀の居城として有名。天正5年(1577)、松永久秀が織田信長に背き、大軍の総攻撃を受け、50日間の籠城、落城。慶長年間に豊臣秀頼によって再建されたが昭和26年火災で焼失した。
(%エンピツ%)「信貴山・朝護孫子寺」(しぎさん ちょうごそんしじ)(奈良県生駒郡平群町信貴山)(*写真は、本堂と大きな福寅です。)
信貴山の由来は、1400年昔、聖徳太子が物部守屋征伐の時に戦勝を祈願し、寅の年、寅の日、寅の刻に毘沙門天を感得した聖地で、見事に征伐を成功。聖徳太子が、この山を「真に信ずべき、貴ぶべき山」と礼賛したことからきている。…その後、命蓮上人(みょうれんしょうにん)が醍醐天皇の病気平癒を祈願され、成就したことから「朝護孫子」の号を賜わった。
・毘沙門天は、福徳開運に霊験あらたかとされる神さんで、「信貴山の毘沙門さん」「生駒の聖天さん」として栄えてきた。
・広大な境内に、朱塗りの欄干が美しい舞台造りの本堂、虚空蔵堂、多宝塔、多くの塔頭寺院がある。
・戒壇めぐり…本堂内で、地下みたいなところに入っていき、真っ暗な通路を壁伝いに手探りで歩いてゆき、宝珠を納めた鍵にふれると幸運に恵まれるという。
(%エンピツ%)「東信貴ケーブル廃線跡」(ハイキングコース)
1983年に東信貴ケーブルの路線が廃止され、ハイキングコースとして整備。遊歩道になっている区間は約700mで、今でも”まくら木”が残っている。
・今年は、12月上旬頃が紅葉の見ごろで、遊歩道は色づいて美しい。