水上勉と〈京都〉−小説『雁の寺』を中心に−

・日時:3月10日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:瀧本和成先生(立命館大学教授)
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○水上勉・「略年譜」(1919年−2004年)
・1919年(大正8):福井県に生まれる。9歳から17歳まで、相国寺塔頭瑞春院(禅宗寺院)で奉公(徒弟生活−口減らしのため親元を離れる)
・1937年(昭和12):立命館大学に入学、わずか8か月で中退。中退後、新聞社や出版社、教師などさまざまな職に就く。戦後、宇野浩二に師事する。
・1948年:『フライパンの歌』を出版し、ベストセラーになる。
・1959年:社会派推理小説『霧と影』で注目を集める。
・1961年(昭和36):『雁の寺』で直木賞受賞。出世作である。
*(その他の作品)…『五番町夕霧楼』(1962年)、『越前竹人形』(1963年)、『飢餓海峡』(1962〜1963年)、『一休』(1975年・谷崎賞)、『金閣炎上』(1979年)などを発表。
・2004年9月8日逝去(85歳)

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○『雁の寺』の梗概
(作品の冒頭文)(右の資料『雁の寺』〈新潮文庫〉を参照)
「鳥獣の画を描いて、京都画壇に名をはせた岸本南嶽が、丸太町東洞院の角にあった黒板塀にかこまれた平べったい屋敷の奥の部屋で死んだのは昭和八年の秋である。老齢に加うるに持病のぜんそくがひどかったせいもあって、蟷螂(かまきり)のように痩せた南嶽の晩年は意志だけが生き残っているように思えた。…」

(梗概)
「衣笠山山麓にある孤峯庵(こほうあん)という禅寺が舞台である。その寺は岸本南嶽(なんがく)の雁の襖絵で知られていた。この寺に、慈念(じねん)という小坊主がいた。慈念は、背が低く頭が大きい、いびつな容貌をした少年として描かれている。桐原里子(さとこ)は、南嶽の囲いものだったが、南嶽の死後、孤峯庵住職北見慈海(じかい)の内妻となる。里子は慈念の無表情な冷たさを不気味に思うが、捨て子であって外観の醜さからいじめられている孤独な身の上に同情する。…そんなある日、慈海和尚の姿が消える。そして、襖絵に描かれた〈松の葉蔭の子供雁と、餌をふくませている母親雁〉の母親雁が破り取られていた。生まれながらにして拒否されているのだと絶望の思いから抜け出せない慈念の、激しい憎悪と残忍な殺意を描いた作品である。」

・京都の架空の禅宗寺院・孤峯庵が舞台の推理小説で、不幸な生い立ちを持つ小坊主の慈念が、師匠である慈海和尚を殺害するに至るまでを描く。
・水上勉の原体験(少年時代に京都の寺院で生活)が色濃く反映している。
・作中には、聖なる存在であるはずの京都の仏教界や僧院生活の俗なる面が描き出される。
・慈海は慈念によって殺されていた(完全犯罪を遂行している)。そして、慈念は南嶽の描いた雁の襖絵から、母と子供の描いた箇所に指を突っ込んで破り捨てて出て行った。

○「主要人物」
◆「岸本南嶽」…京都の日本画壇の重鎮で、晩年、衣笠山山麓にある孤峯庵の書院をかりてアトリエとしていた。弧峯庵の住職北見慈海とは気心の知れた仲であり、弧峯庵の襖は南嶽の雁の絵で知られていた。南嶽の描写は、性欲・所有欲・権勢欲などきわめて俗な人間でありながら、絵画にかける執念は見るべきものありとする。人間存在の醜悪さと芸術表象の乖離(かいり)が批判的に描出されている。
◆「北見慈海」…厳しい戒律の禅宗からは無縁な僧として描出されている。南嶽の死後、里子を内妻とする。性欲・金欲・所有欲がギラギラした形で描かれている。仏教界の腐敗を浮き彫りにし、聖とかけ離れた形に変容した仏教寺院への(内からの)批判ともなっている。
◆「慈念」…勉少年の分身(自分の幼き頃の体験を反映。異形、捨て子としてデフォルメ(強調)されて描写)。少年の純粋な視線や、慈海を殺す=「業」の根深さと孤独と愛欲がもつ危うさが犯罪行為として表出されている。
◆「桐原里子」…里子を取り巻く三人の男性たちの醜悪さを鮮やかに演出する役割を担っていて、主役であると同時に照射役でもある。
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**あとがき**
・『雁の寺」』、仏教寺院を舞台にあらゆる煩悩と憎悪がうごめく人間模様として結晶化させた作品。
・水上勉の小説は、〈京都〉の伝統文化や芸術の裏の面を描いているところが特徴で、美しさよりもその裏にある醜さを強調して描いたところに魅力がある。(瀧本先生)
「…京都の女性は、季節や自然を生活の中に溶けこませた調和の美しさは、日本じゅうどこの町の女性よりもみやびをおびていた。それに、言葉があの調子でやわらかいときていては、世の男性が魅きつけられるのも無理はない。しかし、この躾のよさは京女の美しさとなっても、反面、じつに冷たい氷の背中がくっついていることを男性は知らなければならない。」(右上の資料〈水上勉「京の川」〉を参照)

*【参考文献】
『京都 歴史・物語のある風景』(瀧本和成編著 嵯峨野書院、2015年)