浪速の由緒ある古刹を巡る(ウォーキング)

・日時:3月11日(金)9時半〜15時半
・【コース】:南海岸里玉出駅(9時半集合)−天下茶屋跡−天神の森−阿倍野神社−阿部王子社−安倍晴明神社−海照山正圓寺−松虫塚−播磨塚・小町塚−万代池−(昼食)(ファミレスなど)−浅沢神社−住吉大社−南海住吉東駅(現地解散 15時半) (約8km)
・参加者:23名
・天候:晴時々曇
・リーダー:佐藤義夫
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○「天神の森(天満宮)」(大阪市西成区岸里東)(*右上の写真)
室町時代に北野天満宮の分霊を奉斎。大樹が繁り子安石がある(秀吉は淀殿懐妊時、安産祈願のため参詣したといわれる)。また、千利休の師・武野紹鴎が晩年、当地に茶室をたてた。


阿倍野神社」(大阪市阿倍野区北畠)(*右の写真)
南北朝の南朝方、北畠親房・顕家父子を祀る。この地は、顕家公が足利軍と戦った古戦場。延元3年(1338)、21歳の顕家はこの地で戦い戦没。明治15年阿倍野神社として創立。現在殿は昭和43年に再建。境内参道には多数の和歌が掲載されている。

◆「阿倍王子神社」(大阪市阿倍野区阿倍野元町)
・熊野詣…平安時代から室町時代にかけて「蟻の熊野詣」といわれるほど盛行し、京都の朝廷をはじめ、貴族から武士、庶民に至るまで参詣し、途中の街道筋には多数の王子社ができた。「王子」とは熊野三山(熊野本宮・新宮・那智山)の末社という意味で、土地の氏神とは別に参詣者の遥拝と休憩のための施設として○○王子と名付けられた神社がつくられた。
・阿倍野の地名は、古代豪族の安倍氏が居住したことによって出来た名称。阿倍王子神社は、熊野神社の末社で、元が氏神だったので、現在、府下で唯一残っている。
・境内には、「安倍晴明神社」がある。安倍清明公は、平安時代の陰陽家で天文博士、占いの名人で、延喜21年(921)阿倍野で生誕されたと伝えられる。


○「海照山正圓寺」(大阪市阿倍野区松虫通)
天慶2年(939)、光道和尚により開基。東寺真言宗海照山正圓寺(別称:天下茶屋の聖天さん)。本尊は、日本で最も大きな木彫り大聖歓喜双身天王。三千数百坪の広い境内で、正圓寺の横にある聖天山公園には、聖天山古墳(6世紀築造の前方後円墳)があった。

◆「兼好法師隠棲庵跡」碑(*右の写真)
本尊の歓喜天の台石は、兼好法師の藁打石。兼好法師は、隠棲時に、この付近に移り住み、ここで藁(わら)打ちをして筵(むしろ)を織って生計を立てて、清貧自適な暮らしを営んでいたといわれている。
(注)兼好法師…生没年不詳(1283年ころに生まれ、1352年以降に没)。「徒然草」は、鎌倉時代末期の元徳2年(1330年)から翌年にかけて成立。


○「万代池」(大阪市住吉区万代)
池の周囲は約700m。「聖徳太子が曼荼羅をあげて池に棲む魔物を鎮めた」という言い伝えから、「まんだら池」が万代池(まんだいいけ)という名称になったと伝えられる。明治時代までは、灌漑池として利用。