『徒然草』〜心と言葉〜③生き方の美学

・日時:3月17日(木)午後1時30分〜3時40分
・会場:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・講師:小野 恭靖(おの みつやす)先生(大阪教育大学教授)
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【復習】[『徒然草』〜心と言葉〜は、5回シリーズで講義を行います。
*第1回(兼好法師とその時代)…『徒然草』作者は兼好法師。序段を含め244段からなる。序段(つれづれなるままに)、第243段(八つになりし年)、第11段(神無月のころ)、第13段(ひとり灯のもとに)、第117段(友とするにわろき者)、第18段(ある人、法然上人に)など取り上げて講義。
*第2回(達人と奇人)…第92段(弓術の師の教訓)、第109段(木登り名人)・第110段(双六−負けじとうつべし)、第185段・第186段(乗馬の達人)など取り上げて講義。

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第三回『徒然草』−生き方の美学−
第十九段(折節のうつりかはるこそ)(*右の資料を参照)
(訳)〔季節の移りかわるのは、何ごとにつけても趣(おもむき)の深いものだ。「何といっても秋が一番深くか感じられる」と言うようであるが、【春(当時は1月から3月までが春)】−それはそれとして、心が浮き立つのは春の景色であるようだ。鳥の声などもことのほか春めいて、のどかな日の光の中に、垣根の草が芽を吹くころから、ようやく春も深まって霞がたちこめて、桜の花もどうやら咲き始めようとする折も折、ちょうど雨風が続いて、気ぜわしく散ってしまう。梢が青葉の時節になってしまうまでは、何ごとにつけても気がかりなことだ。…(中略)。【夏(当時は、4月から6月までが夏)】−4月8日の灌仏会のころ、祭り(賀茂祭)のころ、若葉の梢も涼しげに茂っていく時分には、世の中のしみじみした趣も、人の恋しさもまさるものだと、ある方がおっしゃったのは、まったくもっともなことだ。…(中略)。【秋(当時は、7月から9月までが秋】−七夕祭は、まことに優雅なものだ。秋も深くなって夜寒になるころ、雁が鳴いてくるころ、萩の下葉が黄色くなってくるころ、早稲田の稲を刈って乾すなど、何もかも一時に集中して行われることは秋がいちばん多い。また、台風の吹いた翌朝は、まことに趣の深いものだ。…(中略)。【冬(当時は10月から12月までが冬)】−さて、冬枯れの景色も、秋にはなかなかどうして劣りそうもない。池の水際の草に紅葉が散りとどまって、その上に霜がまっ白におりている朝、庭に引き入れた流れから水蒸気が煙のように立っているのも面白い景色である。…(以下略)。〕

「第三十二段」(九月廿日のころ)(*右の資料を参照)
(訳)〔9月20日のころ、ある方にお供をさせていただいて、夜の明けるまで月を眺めて歩いたことがあった折、その方が途中で思い出された所(なじみの女性の家)があって、お入りになった。荒れはてて露がいっぱい下りている庭に、わざと用意したとも思えぬ薫物(たきもの)の匂いが薫ったりして、ひっそりと住んでいる様子は、いかにも趣がある。その方は適当に切りあげて出て来られたが、私は、なおそこに住む人の様子が優雅に思われたので、物陰からしばらく見ていると、その家の主人(たぶん女性)は、妻戸を少し押しあけて、月を眺めている様子である。お客を送り出してそすぐに戸を閉めて奥へはいりこんでしまったとしたら、どんなにか風流心がなく思われただろうに。こうした振る舞いは、その人のふだんの心遣いによるものなのだ。その主人(女性)はその後間もなく亡くなられたと聞いた。〕
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**あとがき**
・上記の段のほかに、「第十段」(家居のつきづきしく−住居によってその主人の人柄が推察される。)、「第八十二段」(うすものの表紙は−物事は不完全な状態がよいという美意識への共感)、「第百三十七段」(花はさかりに−物の見方と美意識についての論)など講義。
■日本人の美意識・無常観
・兼好法師は、春夏秋冬そのものよりも、春から夏、秋から冬のように季節が移っていくその狭間こそ、もののあわれを認めている。
・第137段「花はさかりに、月はくまなきをのみを見るものかは」…兼好にとって、春なら咲き盛る桜には感慨をもたない。→日本人の美意識。花のまっ盛りを愛でるのではなく、季節のあい間のそこはかとなき風情へ目を向けている。