・日時:3月24日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・講師:浅尾広良先生(大阪大谷大学教授)
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**国宝『源氏物語絵巻』
『源氏物語絵巻』は、紫式部が『源氏物語』を書き綴ってから約100年後の平安時代後期(12世紀前半)に制作された現存する最古の絵巻である。現存する『源氏物語絵巻』は、「絵」が十九面、「詞書(ことばかき)」が三十七面で、徳川美術館と五島美術館に所蔵されている。…現存する作品は、色が褪せ、剥落が進み、当時の面影はない。1999年から2005年にわたり、「源氏物語復元プロジェクト」で、絵巻の復元が完成した。
講義では、『源氏物語』を読み、「絵巻」の現存するものと復元したものとを比較しながら鑑賞します。
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(%エンピツ%)講義の内容
○「鈴虫(一)」
右は、現存する『源氏物語絵巻』鈴虫(一)で、絵の具の剥落が激しく、何が描かれているか不明瞭である。(剥落の部分に、小さな墨書きの文字で、「やりみつ」(遣水)、「にわ」(庭)、「せさい」(前栽)、「すすむし」(鈴虫)などの文字が書かれていた。彩色者に対する覚え書きと思われる。)
◆夏、女三宮の持仏開眼供養を盛大に催す。
「蓮の花盛りの夏、出家した女三宮の持仏開眼供養が営まれる。光源氏は女三宮のために、新しい仏具一式をそろえ、紫上もそれに協力する。法華曼荼羅を掛け、仏を安置。宮の御持経は光源氏が自ら筆を執って書いたものであった。」…(以下、中略)。
◆源氏、女三宮のために細心に配慮する。
「今になって、光源氏は女三宮を際限ないほどよくお尽くしになる。朱雀院は、三宮には三条宮を相続させてある、この機会に六条院を離れて三条宮に移ることを勧めますが、光源氏は《自分が生きている間は、女三宮のお世話をしたい》と拒否する。」…(以下、中略)。
◆女三宮の出家生活、源氏の未練を厭う。
「光源氏は、女三宮の居所の庭を秋の野原のように造り替え、虫を放して、たびたび訪れては、虫の声に聞き入られるふうをされながら、今なお女三宮への未練が断ちがたいようなことをおっしゃって、女三宮を困惑させる。女三宮は、光源氏から離れて暮らせる住まいはないものか、と光源氏の未練を厭う。」
◆中秋十五夜の遊宴。
「八月十五夜の夕暮れ、いつものように光源氏が訪れて、《虫の音がひどく鳴き乱れる晩ですね》。なるほど、いろんな虫の声が聞こえてくる中で、鈴虫が鳴き出したのは、華やかで面白い風情である。…鈴虫の音に聞き入りながら、歌を詠み交わす。
・(女三宮)「おほかたの 秋をばうしと しりにしを ふり棄てがたき すず虫のこゑ」(秋といえばつらいものと知っておりましたが、鈴虫の声だけは未練を捨てることができません)
・(光源氏)「こころもて 草のやどりを いとへども なほすず虫の 声ぞふりせぬ」(ご自分から進んでこの世をお捨てになったけれども、相変わらずその鈴虫のような声は若く美しい)
…などと女三宮を持ち上げて、珍しく琴を弾いた。」
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○国宝『源氏物語絵巻』〜鈴虫(一)〜
右の絵巻は、「鈴虫(一)」を復元模写したものです。
・画面は、六条院の中に新たに設けられた女三宮のための御念誦堂。画面右手の竹の透垣(すえがき)の前に、閼伽棚(あかだな=仏に供える水や仏器を置く棚)がみえる。
・閼伽棚に水などを供するのは、髪を短く切った尼そぎ(髪を肩の辺りまでそいだ尼)の女房が立っている。宮の出家を追った侍女の一人であろう。
・左の柱の陰に座る女人が、女三宮とする説があったが、違うようだ。復元模写プロジェクトで、衣に裳(も)が描かれていることがわかり、女三宮ではないという説−出家していない侍女の一人との説が有力である。
・左下の一隅に、直衣らしい装束がみえている。これは、光源氏の姿を描くものであろう。
*この絵には、女三宮と光源氏が描かれているはずなのに?→出家した侍女と出家していない侍女を描くことにより、女三宮の心の変化を表し、光源氏は、わずかに直衣の裾で表現している。あえて、主人公を描かなかったと思われる。(浅尾先生)