絵画を観る〜モネ〜

・日時:3月31日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・講師:川田 都樹子先生(甲南大学教授)
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クロード・モネ(1840〜1926年)略年譜 「印象派」
・1840年:パリに生まれる。→(5歳で港町ル・アーブルに移り、1859年画家ブータンに油絵を習う。1870年カミ−ユと結婚。)
・1874年:第1回印象派展に《印象・日の出》を出品。(1883年、ジヴェルニ−に移る)
・1890年:「積藁」、「ポプラ」の連作制作。
・1899年:睡蓮池や日本風の橋を描く。(1892年アリスと結婚。)
・1908年:視力が衰え始める。アトリエで睡蓮の絵を制作。(1914年睡蓮の大装飾画開始)
・1926年:モネ、ジヴェルニ−で死去(享年86歳)

◆モネは、印象派の旗揚げ、二人の女性との出会いと別れ、経済的には困窮(作品が評価されるようになるには50代に入ってからのこと)、各地に旅する生活…晩年にいたるまで情熱的に生きた画家。

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○モネの絵画を観る
(1) 《印象、日の出》 1872年、50×65㎝、マルモッタン・モネ美術館(パリ)
・「印象主義」という言葉の源となり、美術の発展に大きな影響を与えた作品。しかし、当時の批評家は、「こんなものは絵ではない。題名が示すようにただの印象に過ぎない。」とモネの作品を批判した。
◆絵の鑑賞
フランスのル・アーブル港の早朝の風景で、いままでにない筆のタッチ、淡い色彩。画面を水平方向に上半分と下半分に分割し、筆の動きは楕円形の動き。船は3艘で、色彩はだんだん薄く描かれている。また、朝焼けの太陽に位置は、真ん中ではなく、右寄りに描かれ、太陽の光が反射する海は、近くで見ると荒っぽい筆の跡が残る。モネは下書きはせず、水・船・煙突の煙・太陽・雲の静かに動く風景を描いている。


(2) 《睡蓮の池》 1899年、92.7×73.7cm、メトロポリタン美術館
・ジヴェルニ−の庭に咲く睡蓮を描いた。この庭には美しい池や日本風の橋がみられる。(歌川広重の浮世絵に同じような橋が描かれている。)
・ジャポニズム…日本の浮世絵は、モネの作品に影響を与えた。大胆な構図、特異な視点の取り方、強い色彩の並置など、モネの風景画の展開に影響した。ジヴェルニ−にあるモネの家には浮世絵コレクションは200点以上。
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**あとがき**
・講義で鑑賞したモネの絵画作品リスト
<積藁の連作−「日没」・「晩夏、朝」・「冬の効果」、「霧の太陽」>、<ラ・グルヌイエール>、<緑衣の女性(カミーユの肖像)>、<死の床のカミーユ>、<日傘の女−(右向き)・(左向き)>、<睡蓮の池>、<睡蓮の連作>などの作品。
・他の作者の絵画作品
<ドラクロア「民衆を導く自由の女神」>1831年、<ルノアール「.ラ・グルヌイエール」>1869年、<葛飾北斎、歌川広重の浮世絵>など

■印象派の絵画
写実主義の流れから、見たままに描くことを重んじ、光の変化、空気感といった一瞬の印象を再現しようとした。印象派の画家…マネ、モネ、ドガ、ルノワール他。
・主題は光。光とともに変化する様子を捉える。モネは、「風景は、それを取り巻く大気や光によって存在する」と述べている。
・絵具はパレットの上で混ぜない(虹色のパレット)。純粋な色を筆触で併置する。隣接した色が互いに及ぼしあう影響や補色(反対色)がもたらす効果についても意識する。混色は、目の網膜の上でおこなう(視覚混合=絵画を観るときは、目を細めるとうまく混色できる)。
■連作
「積藁」、「睡蓮」など、同じモチーフを何度も描く連作。一つのテーマを進化させて描く。移ろう天候、雰囲気、環境を捉えようとした。
■最期の大作/巨大な睡蓮の装飾画
パリのオランジュリー美術館の地下の二つの部屋に設置されている巨大な睡蓮の連作(1914−1923年制作)。国家に寄贈した。←当時(1912年)、京都・西本願寺の「ふすま絵」がパリ市に寄贈され話題。大きな8点の装飾画を並べるような絵は無かったことから、モネはこの「ふすま絵」の構図などを参考にしたのではという説がある。

*(注)「モネ展」が開催中です。
・開催日:2016年3月1日〜5月8日
・会場:京都市美術館
・展示:「印象、日の出」から「睡蓮」まで(マルモッタン・モネ美術館所蔵)