真田信繁(幸村)ゆかりの九度山を歩く(ウォーキング)

.日時:4月16日(土)9時〜16時半
・【コース】:南海高野下駅(10時)−竜王渓遊歩道−九度山町役場−旧萱野家−真田抜け穴−そば処(昼食)−真田庵−慈尊院−丹生官省符神社−町石道−勝利寺−紙遊苑−道の駅・九度山−米金の金時像−南海九度山駅(現地解散 16時半) (8km)
・参加者:17名
・天候:快晴(朝は8℃、午後は20℃を超える)
・リーダ−:佐藤義夫
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○「旧萱野家(大石順教尼の記念館) 」(右上の写真、大石順教尼の遺墨作品などを見学)
旧萱野家(きゅう かやのけ)は、江戸時代から続く高野山の里坊(不動院)として建立され、明治時代まで続いた由緒ある建物。尼僧大石順教がしばしば滞在し、数多くの書画を書き残す。
*大石順教尼…本名・大石よね。明治38年(1905)、堀江事件で巻き添えをうけ、不幸にして17歳で両腕を切り落とされた。その後、苦難の道を乗り越え、忍の一字に徹し、カナリヤがくちばし一つで雛を育てているさまを見て、両手のないまま口に筆をくわえる事を開眼し、精進を重ねた。やがて求道者の道を選び、京都佛光院を建立し、身体障害婦女子の心のよりどころ〈「心の障害者になるな」〉と自立厚生に献身する。


○「真田古墳(真田抜け穴伝説) 」(右の写真)
真田信繁(幸村)が草庵をむすんだゆかりの地であったので、「真田の抜け穴」と伝承されていた。(実際は、古墳時代後期の横穴式石室を持つ円墳)

◆昼食・そば処「幸村庵」
真田庵の近くにある「そば処」で昼食。メニューは、本場信州仕込みの「そば」と、揚げたての「天ぷら」、そして「柿の葉ずし」。
(注)九度山は、食べ物屋さんが少ないので、食事予約をお勧めします。


○「真田庵」(善名称院)(右の写真)
真田昌幸・信繁父子が、14年間隠棲した屋敷跡に立つ寺院。六文銭の紋が刻まれた表門を入ると、本堂があり、境内には真田昌幸の墓、資料館、与謝蕪村の句碑などがある。春には、牡丹の花が有名。

◆「真田ミュージアム」
今年の3月にオープンした施設。真田昌幸・信繁(幸村)・大助の真田三代の軌跡と14年間という幸村の生涯で一番長い時間を過ごした九度山での生活をパネル展示とドラマ仕立ての映像により紹介。(入場料:一般500円)


○「慈尊院/ 丹生官省符神社」(右の写真は、慈尊院から丹生官省符神社に行く119段の階段を上っているところです。)

*「慈尊院」(じそんいん)…弘法大使が高野山開創の際に、年貢の徴収などの庶務を司る政所や宿泊所を置いた高野山の要所。弘法大使の母公が晩年移り住み、没後、「女人高野」と呼ばれ親しまれてきた。慈尊とは弥勒菩薩仏で、この寺の本尊。安産、子授け、授乳に霊験ありと信仰される。
*「丹生官省符神社」(にうかんしょうじんじゃ)…弘法大使が政所創建の時、守り神として地元にゆかりのある丹生都比売(にうつひめ)・高野御子の二神を祀った神社。