「甦った姫路城」〜美しさの秘密を探る(2)

・日時:4月19日(火)am10時〜12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:中元 孝迪先生(兵庫県立大学特任教授)
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**[前回の復習](H27年10月20日)**
○「池田輝政が今の姫路城を築城」
①(系譜)…輝政(てるまさ)は尾張・清州生まれ(1564年(永禄7))。父・恒興(つねおき)は織田家の重臣。信長の死後、秀吉に与力、美濃を領す。→「長久手合戦」(1584年)秀吉対家康(引き分け。父恒興、兄元助討死。)
②(美濃から三河吉田へ)…輝政は家督を相続。「小田原攻め」(1590年)の武功で、三河吉田15万石。★吉田城築城…三重櫓の多数配置→姫路城のルーツ
③(家康の娘・督姫と婚儀)…秀吉の命により、1594年督姫(とくひめ)と婚儀(輝政=家康の娘婿)
④(関ケ原・播磨)…輝政は、前哨戦で岐阜城攻略。関が原では「殿(しんがり)」を務め、毛利勢食い止めに成功。→関ヶ原の戦いの功績で、三河吉田15万石から播磨52万石で入城(1600年)。★西国将軍などと称せられる。→輝政は、徳川家康から、豊臣恩顧の大名の多い西国を牽制する命を受けて、1601年から8年かけて広大な城郭を築いた。
(注)「関ケ原」後の大名配置…列島中央部に集中《親藩(家康縁戚)・譜代(三河以来の家臣)》。西、北周辺に《外様(関が原後の主従)》。西端を姫路・播磨。

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(%エンピツ%)講義の内容
○「姫路城の美しさの秘密」
(1)連立天守方式-日本唯一の構造
大天守と東・西・乾の三つの小天守が渡櫓で連結された連立式天守。→威厳を持った天守群の誕生。軽快、複雑、変化にとんだスカイライン。
・大天守閣は、上階ほど狭く、先端部分がスマートな富士山型。
・優美な瓦屋根(直線−安定した軒瓦ライン。曲線−千鳥破風、唐破風の絶妙な配置)
(2)こだわりの「白色」 -城は本来「黒」が主流であるが。
色彩イメージ。「黒」=強さ、威圧感、悪。「白」は、清廉、潔白、無防備、全ての色を超越した色。
・平成の大修理(2009〜2015年3月)では、外壁だけでなく、屋根瓦の継ぎ目や軒下にも白漆喰を塗り、城全体が白く見えるようにした。

(3)>品格と構築美-書院造の形式を導入
・舟肘木、火頭窓の採用(高級寺院しか使わない窓)。
・門、壁、石垣、屋根などの重層構造…重なりによる構造美(絵画のモチーフ)
(4)全体構造−視覚の良さ
・「平山城」であること。…暮らしの目線で仰ぎ見る(仰角の威厳)。美しさが日常化する。(「山城」は視覚に入らない。「平城」は威厳性に欠ける。)
・「西の丸」の造営…家康の孫娘・千姫が本多忠勝と再婚した折、築かれた西の丸は、横方向に広々と伸び、翼を広げた白鷺(しらさぎ)のように映る。

*天守の構造*
姫路城の天守は、姫山(標高45.6m)の上に立っている。外観五層、内部七階(地下1階、地上6階)。高さは、石垣が14.9m、建物が31.5m(合計して海抜92m)。心柱は、東西に2本、高さ24.6m、根元直径95cm、末口42cm(地階から6階床下まで伸びている)。
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**あとがき**
・平成5年(1993)、姫路城は奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産に登録された。
・現在の姫路城は、慶長4年に建築されたもので、江戸時代初期に建てられた天守や櫓などの主要建築物が現存。
・昨年度(2015年)の姫路城/年間入場者数は約280万人。⇔これまでの最多は、2008年度約221万人の熊本城。