・日時:6月2日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:浅田 隆先生(奈良大学名誉教授)
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1.変容する風景
○河野仁昭「自然と風土」
「奈良・大和の歴史と文化は、仏教を抜きにはありえない。しかもその仏教文化は、奈良時代のものである。まるで歴史から置き忘れられたように奈良時代で止まっている。…その仏教文化が歴史の星霜を経た現在、奈良・大和の自然と風土そのものであるかのように、それらに溶け込んでいるのである。…これが奈良・大和の特色であり魅力である。…(中略)。奈良を中心とする北大和は、平安遷都以後、奈良街道(京都街道)によって京都と直結した。朝廷・貴族のふる里、奈良は、南都と称され、京都からの往来が絶えなかった。それだけに、また、文化的にも政治的にも京都の影響をこうむることが多かった。」
*(注)河野仁昭(こうのひとあき):(1929〜2012年)。詩人、エッセイスト。
◆奈良は、外来の宗教である仏教によってどんどん変容していった。奈良時代には最先端の場所だった。しかし、都が京都に移ると、大規模な戦乱がなかったこともあり、奈良時代が良く残っている。(京都は、戦乱や都市化が進み、古代の平安京の跡はあまり残っていない。)
◆奈良は70年の都。(また日本のふる里として千年)。⇔京都は、千年の都(著名な貴族は奈良がふる里であった。)
◇この「変容する風景」章には、正岡子規(奈良を詠んだ俳句)、高浜虚子「斑鳩物語」、井上靖「法隆寺」。
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2.近代文学
○和辻哲郎『古寺巡礼』 (大正八年 岩波書店)(*右は、十一面観音像)
「聖林寺の十一面観音は偉大な作だと思う。…しかしこの偉大な作品は、神仏分離・廃仏毀釈の時期に、路傍にころがしてあったという。通りかかった聖林寺の住職が発見して安置したという伝承を語っている。」
◆実際は、当時の聖林寺の住職が譲り受けたものである。この十一面観音像は、アメリカ人のアーネスト・フェノロサが激賞し、素晴らしさが広く知れわたる。
*(注)和辻哲郎(わつじてつろう):日本哲学者、文化史家。(1889〜1960年)、『古寺巡礼』は、飛鳥・奈良の仏教美術を紹介し、古寺巡りの先駆となった。
○井上靖『天平の甍』
「奈良唐招提寺に祀られる唐僧鑑真の来日を素材にした作品。主要人物は、鑑真をのぞけば、、栄叡(ようえい)、普照(ふしょう)、玄朗(げんろう)、戒融(かいゆう)、業行(ぎょうこう)の五人の遣唐僧はそれぞれの生き方をする。…先に渡唐していた業行は経典を正確に書写して故国に伝えようとしていた。しかし、日本への帰途、おびただしい経典ととともに、海底に歿する。戒融は何かを求めて大陸へ放浪へと旅立つ。玄朗は唐の女性と結ばれ、唐に留まる。授戒僧招聘にもっとも熱心であった栄叡は志なかばで客死。そして、栄叡に引きずられる形であった普照のみが、使命を達し故国の土を踏む。…鑑真は、幾多の障害に阻まれ、五度の失敗を重ね、渡日はついに実現する。」
*(注)井上靖(いのうえやすし):小説家、詩人。(1907〜1991年)。『闘牛』(1949)で芥川賞を受賞。『天平の甍』、『蒼き狼』、『おろしゃ国酔夢譚』など。
○会津八一の歌
「やまとぢの るりのみそらに たつくもは いずれのてらの うえにかもあらむ」(鹿鳴集)
(意訳:奈良を歌う。会津八一は北国に生まれ、常に灰色の曇天を見て育った。奈良は、あおい空に白い雲。明るく澄んで、常に美しく見える。)
*(注)会津八一(あいずやいち):(1881〜1956年)。近代詩人、歌人、美術史家
◇この「近代文学」章には、森鷗外「奈良五十音」、井上靖 詩集『北国』、堀辰雄『大和路 信濃路』・「浄瑠璃寺の春」、志賀直哉「置き土産」。
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**あとがき**
▲正岡子規の句(抜粋)
「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」は有名ですが、このほかに大和・奈良を詠んだ句は…
-菜の花の 上にかさなる 生駒かな
-右京左京 中は畑なり 秋の風
▲井上靖「法隆寺」
自分が生まれたころ(明治40年頃)の法隆寺はどんな状態だったのか。高浜虚子、志賀直哉、里見氏なども法隆寺を訪ねている。…奈良から法隆寺へ向かう汽車は私鉄だったし、大体半日がかりで奈良から歩いた人もあった。その頃夢殿の前には三軒の旅館があった。日帰りが無理だったためであろう。
▲森鷗外「奈良五十首」(抜粋)
-夢の国 燃ゆべきものの 燃えぬ国 木の校倉(あぜくら)の とはに立つ国
-蔦かづら 絡む築泥の 崩口の 土もかわきて いさぎよき奈良
▲堀辰雄『大和寺 信濃路』
「…十月夕方、唐招提寺にて(昭和16年)。…此処こそは私達のギリシャだ。—そう、何か現世にこせこせしながら生きているのが厭になったら、いつでもいい、ここに来て、半日なりと過ごしていること。…古代の日々を夢みていたくなる。…(以下、省略)」