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・日時:6月14日(火)午前10時〜12時
・会場:すばるホール
・講師:来村多加史先生(阪南大学教授)
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○「始皇帝陵」
*右は、始皇帝陵(驪山陵ともいわれる)。墳丘は方形台状で、高さ76m、基底部は東西345m、南北350mの正方形。二重の城壁をめぐらした大規模な陵園。
・始皇帝陵は、中国の西安市郊外・驪山(りざん)の麓にあり、墳丘の地下には、ほぼ長方形の城壁をもつ巨大な地下宮殿と墓室がある。
■ 『史記』「秦始皇本紀』に記された地下宮殿(抜粋)
①九月、始皇を驪山に葬る。始皇初め位に即(つ)くや、驪山を穿ち治む
始皇帝(前210)9月、始皇帝を驪山に葬った。始皇帝は即位するとすぐに驪山に陵を営みはじめた。(13歳で秦王に即位した直後から37年間かけて工事が進められ、二世皇帝の時代におおむね完成)。
②天下を併すにおよびて、天下の徒の送詣するもの七十余万人
天下を統一したあと、天下の罪人たち70数万人を集め、阿房宮と始皇帝陵の造営にあたらせた。
③上は天文を具え、下は地理を具ふ
墓室の天井には天文図を描き、墓室の床には地理を表現する。
④草木を植え以て山に象(かたぞ)る
埋葬が終わると、墳丘の上に樹木を植えて、山のように見せた。
◆始皇帝陵出土「2両の銅車馬」
始皇帝陵の墳丘西側の坑から、二両の銅車馬が出土。
・1号銅車馬は立車(りつしゃ)といい御者が立って四頭の馬を手綱でさばいている。背に長剣を帯び、右に盾と鞭を置き、その左側に弩(ど)を備え、矢が立てられている。
・2号銅車馬は、安車または轀輬車(おんりょうしゃ)といい、横になって乗ることができる箱型の車を正座した御者が引く。小窓で、夏は涼しく、冬は暖かく設計(始皇帝が乗る。)
(注)銅車馬は、3000点以上の青銅製の部品から成る。…中国文明のスケールの大きさ、緻密さにびっくり。こだわりがすごい。(来村先生)
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〇兵馬俑坑
秦の兵馬俑坑は、始皇帝陵から東に約1.5kmの所にある。1974年、地元の人々が井戸を掘っていた時、たまたま発見した。実際の人馬とほぼ同じ大きさの陶製兵馬は、始皇帝のための殉死者であるので、兵馬俑とよんでいる。俑とは死者を葬るときに備える土偶の意味である。
・兵馬俑は4つの地下坑からなる。その配置は、秦時代の軍の編成を表しているとされる。
【1号坑】(未完堀)…推定で6000体の兵馬俑があるとみられている。本隊で前面を軽装歩兵、その後ろに重装歩兵を率いた将軍がのる戦車が配置されている。
【2号坑】…89両の戦車と472頭の馬、900体以上の兵士俑が埋まっていると推定。「弩」という強力な弓をもった機動部隊。
【3号坑】…指揮部隊。兵馬俑軍団の全体を統率する総司令部。
【4号坑】(未完成)…遊撃部隊?
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**あとがき**
・始皇帝の兵馬俑は、1号坑から3号坑まですべて合わせて8000体といわれているが、全てが発掘されているわけではない。…また、未発見の坑が、まだ眠っている可能性がある。
・兵馬俑は、実物サイズで体格が良く、現在は塗装がはげているが、当時は一体一体に色が塗られており、出土した俑はすべて東の方を向いている。
・何故か、有名な「銅車馬」は2分の1スケール。
・始皇帝陵や兵馬俑は、始皇帝の霊魂が、死後、地下帝国で生きていくための「永遠の世界」ともされている。−現実の人間・馬、そして宇宙を、大地を、宮殿を、なにもかも地下の世界に再現。
★特別展「始皇帝と大兵馬俑」
・開催期間:7月5日〜10月2日
・会場:国立国際美術館(大阪・中之島)
・記念講演会:7月9日(土)13:30〜15:00 「始皇帝陵発掘最前線」(来村多加史先生)