・日時:6月9日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:北見 真智子先生(大阪音楽大学講師)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
**前回の復習**
◇能とは…古典的題材を取り上げ、幽玄美を第一とする歌舞劇
◇能を上演する人々…「シテ方」[「シテ」(主人公)。「地謡」(能の斉唱を担当)。「後見」(能の進行を見守る)]、「ワキ方」(シテと応対し、シテの演技を引き出す相手役)。「狂言方」(アイ−狂言の演技を担当する狂言方が能の中で受け持つ役およびその演技のこと)。「囃子方」(笛、小鼓、大鼓、太鼓を演奏)。
◇能の歴史…【南北朝時代】(春日若宮祭や興福寺の祭礼で「能」が演じられるように。→大和猿楽四座も奉仕)。【室町時代】(観阿弥と世阿弥父子の活躍。→足利義満に認められたことで、京都へ進出)。【江戸時代】(幕府の保護を受け式楽に。→喜多流樹立(四座一流))。
◇古典的題材…現行曲数は約240番。(王朝文学、伝統詩歌、戦物語など主題)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〇能「葵上」あらすじ(前半)
「左大臣の御息女で、光源氏の正室である葵上(あおいのうえ)が物の怪に悩まされて寝込んでいる。(その様は、小袖を舞台の正面先に広げる。これが、病床の葵上を表す)。…そこで朱雀院に仕える廷臣が、梓の弓によって亡霊を呼び寄せる照日の巫女(てるひのみこ)に命じて、怨霊の正体を占わせることに。すると、梓の弓の音にひかれて六条御息所の生霊が破れ車の乗って現れる。源氏の愛を失った恨みを述べ、葵上の枕元に立ち寄って責めさいなみ、幽界へ連れ去ろうとする。」〈中入〉
▲六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)
(源氏物語の原作では)…29歳−30歳。大臣の娘として高貴な家の生まれ。16歳の時、皇太子(桐壺帝の弟)の妃として脚光を浴びたが、20歳の時に夫の皇太子と死別、若くして美しき未亡人。→若い源氏は年上の美しき未亡人御息所の魅力の虜に。しかし、愛の激しさが負担に感じられるようになり、急速に彼女に対する恋の情熱を失う。
▲葵の上
(源氏物語の原作では)…26歳。源氏の正妻。懐妊により源氏との夫婦仲は改善。夕霧(長男)を出産した直後に六条御息所の生き霊とおぼしき物の怪に取りつかれて急逝。
★≪車争い≫(葵祭の見物における車の場所取り争い)
(源氏物語の原作では)…「葵祭りで、行列に供奉する源氏の晴れ姿を見ようと、広い都大路は見物の車でごったがえしていた。」
*「懐妊中の葵の上」…気晴らしのために夫の晴れ姿を観ようとして少し遅れて見物にやってくる。
*「御息所」…近頃の冷淡な態度を恨みつつも源氏の姿を確認せずにはいられず、忍んで出かけてきた。
「今を時めく左大臣の娘である葵の上の一行は、他の車を押しのけて場所を取ったが、御息所の車もその押しのけられた中にあった。混乱の中で罵倒され、忍び姿を見あらわされてしまい、ひどい屈辱感の中にあう。…源氏が葵の上に敬意を払って通り過ぎてゆく姿を目のあたりにする。」
■≪車争いのその後≫
(源氏物語の原作では)…「プライドを深く傷つけられた御息所は。やがて自制心を失い、相手を呪わしく思う心が身体から浮遊するようになった。生きながら怨霊となって祟る。」
〇能「葵上」あらすじ(後半)
「臣下は、葵上のただならぬ様子に、比叡山から横川の小聖(よかわのこひじり)という行者を呼んで、早速に祈祷を始めると、御息所の怨霊が鬼の姿で再び現れ、行者を追い返そうとして激しく争う。しかし、ついには心を和らげて成仏の身となって立ち去って行く。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
**あとがき**
・源氏物語から題材を得る(古作の能を世阿弥が改作したといわれる)。
・前シテは、六条御息所の生霊。/後シテは、六条御息所の怨霊。
・源氏物語の原作にはない霊能者や僧が重要な役をしている。…照日の巫女(梓弓を使う巫女の設定−室町時代の風習)と修験者(横川の小聖)は一組。前半に巫女が霊を呼び寄せ、後半、修験者が霊を退散させる。←御息所の成仏は原作にはない。
・能の「葵上」では、光源氏の排除(光源氏を出さない)=源氏物語の女性がシテになる能の共通点。
・能は、個性の表現ではなく、普遍的な性格、あるいは情念の根源を抽出。←能「葵上」の御息所は、あまりにも教養があり、自我が強すぎたがために、愛に身をゆだねることができなかった女性のタイプを代表。