「万葉集の巻頭歌を読む」

・日時:6月23日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:市瀬 雅之先生(梅花女子大学教授)
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『万葉集』(全20巻)は、雄略天皇の巻頭歌で始まる
雑歌 天皇の御製歌−雄略天皇
籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます児 家告らせ
名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居れ しきなべて
我れこそ居れ 我れこそば 告らめ 家をも名をも
」(巻一、1)
(意訳)(立派な籠を持って、立派な堀串(ふくし)(菜摘みに使うヘラ)を持って、この岡で菜を摘んでいる娘さんよ。家をおっしゃい、名前をおっしゃい。大和の国は私が平定しているのだ。私の方から打ち明けよう、家も名をも。)
・これは若菜を摘む女性に、雄略天皇が語りかけた歌である。
・女性の持つ籠とふくし(ヘラ)に目をとめた天皇が、その美しさを讃えながら、持ち主を呼び止め、家と名を告げるように懇望する。男が女に家の素性や名を聞くのは求婚を意味する。しかし、女性はなかなか応えない。雄略は「ならば私の方から告げよう。身分も名前も。」…若菜摘みのなごやかな雰囲気のなかで、おおらかな笑いを感じさせる伝承歌である。
*(注)雄略天皇の歌は、万葉の長歌一般が五・七音節の定型からなるのと異なって、短・長句は音数が一定していない。

〇雄略天皇について
『万葉集』全二十巻、雄略(ゆうりゃく)天皇(在位456-479)の巻頭歌で始まる。雄略は中国の歴史『宋書』に記されている「倭王武」に比定され、稲荷山古墳(埼玉県)から出土した鉄剣銘の「ワカタケル」も雄略と考えられる。ワカタケル大王時代は、ヤマト政権が現在の関東から九州までに及ぶ覇権を打ち立て、列島社会の政治的統合を著しく進展させた。万葉時代の人々も雄略天皇を王権発達史上の英傑と認めていたようで、万葉集が雄略の歌から始まる理由もそこにあると思われる。

◆ 『古事記の雄略天皇− 「赤猪子」 (天皇のお召しをひたすら待って、とうとう80年も歳月が立ってしまった物語)−
(概説)【ある時、天皇が遊びに出かけ、美和河(初瀬川の下流)に辿り着いたころ、河のほとりに衣服を洗っている乙女がいた。その容姿はたいへん麗しかった。天皇は、その乙女に「おまえは、誰の子か」と尋ねた。乙女は、「引田部(ひけたべ)の赤猪子(あかゐこ)といいます」。そこで「おまえは男に嫁がずにいよ。まもなく召そう」と仰せを伝えさせて、宮にお帰りになった。…なので赤猪子は、天皇のお召しを待つうちに、すでに80年経った。…天皇はすっかり以前のことを忘れていた。…赤猪子は、「仰せを心待ちにして今日まで80年が過ぎた。今はすっかり姿も年老いて、もはや自ら頼むところもありません。けれども、私の操だけは表し申し上げようとして参内しました」。ここに天皇はひどく驚き、内心では結婚したいと思ったが、年を取りすぎており、交わりをなすことができないことを悲しんで、お歌を賜わった。…そうして、天皇は多くの賜り物をその老女に与えられて、帰されました。】

◆ 『日本書紀』の雄略天皇批判
雄略は気性の激しい残虐な暴君であったとの伝承もある。天皇の座につくために兄や従兄弟を殺害したり、気に入った女性は人妻であっても奪い取るといったとの記事が史書にある。→その一方で、雄略作とされている巻頭歌は、それとはやや異なる人間像を伝えている。

『万葉集』の巻末の歌−大伴家持
新しき 年の初めの 初春の 今日(けふ)降る雪の いやしけ吉事(よごと)」(巻二十、4516)
(意訳)(新しい年の初めの初春の今日、めでたくも降る雪のように、いよいよ良いことが重なるように。)
・天平宝字三年(759)春正月一日に因幡の国庁で詠んだ歌をもって、『万葉集』全二十巻は幕を閉じる。
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**あとがき**
・『万葉集』は現存最古の歌集である。二十巻。歌数は約4540首。ほとんどが短歌で、長歌260余首、旋頭歌60首。
・雄略天皇の歌は、万葉の当時から約200年前の天皇なので、実作ではなく伝承された歌謡と考えられる。