「西行の高野入山」

・日時:7月7日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:下西 忠先生(高野山大学教授)
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1.西行の生涯(俗名:佐藤義清(のりきよ))[元永元年(1118)〜建久元年(1190)]
・平安時代後期の歌人。勅撰集『新古今和歌集』に94首(第一位)。 
・【出家】…保延元年(1140)23歳の時、出家。
☆「世を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人こそ 捨つるなりけり」(西行上人集)
(意訳)(世を捨てた人は、まことに捨てきっているのだろうか。いや、むしろ捨ててない人のほうが世を捨てている。世を捨てたつもりの自分自身に対する問いかけ。)
・【高野山時代】…約30年間、高野生活の本拠。[久安五年(1149)32歳頃〜治承三年(1179)62歳頃]
・【晩年】.…西行はその晩年住みなれた高野を下山し、伊勢に移住。下山の理由として、高野の復興がある程度目途がついたこと、あらたな東大寺復興(平重衡の東大寺・興福寺の焼討)の勧進の思いなど、西行にとって一つの時代の終焉だったのでは。

2.高野入山
・久安五年(1149)5月に高野が落雷で大火により御影堂など一部を除いて焼失。
◆西行が高野山に入山したのは、みちのくの旅から帰った後、久安五年・同六年(32、3歳)頃である。高野入山の要因は、「高野復興への尽力」、「弘法大師への信仰」、「西行の経済的基盤である荘園(田中荘〈和歌山県紀の川市〉と高野山の距離の近さ)」。⇒西行が高野のどこに暮らし、またどのような生活を送っていたか、全くといっていいほどわからない。…のべつ高野山で修行していたわけではない。都へはよく往復し、吉野・熊野は言うに及ばず、遠く中国・四国まで足をのばしている。

高野で詠まれた西行歌(抜粋)
高野より、京なる人に遣はしける
すむことは 所がらとぞ いひながら 高野はものの あはれなるかな」(『山家集』913)
(意訳)(高野山より、京に住んでいる人に−「住む(澄む)ことは所柄によるといいながら、高野山はもののあわれ感じるすばるしいところですよ」)
・西行が感じた「もののあはれ」(高野生活での自然。「山深み」(山が深いので)ではじまる歌群)…「音あはれなる谷の川水(高野の谷川の音)」、「真木の葉分くる月影(真木の葉をわけて差し込む月の光)」、「かつがつ落つる橡(とち)拾ふほど(ぽとりぽとりと落ちる橡を拾う間)」など。
平時忠との交流に詠まれた西行歌
平時忠は、大雪のころ、西行が高野に行くと聞いて、これほどの雪の深さにどうして高野に行くのか、都へはいつ出てくるのかと。それに応じて、西行は時忠に次の歌をおくる。
☆「雪分けて 深き山路に 籠りなば 年かえりてや 君に逢ふべき」(『山家集』1057)
(意訳)(年が改まれば、また都に帰りすぐにおめにかかりますよ。)
(注1)西行は、39歳の時、保元の乱(1156年)(崇徳上皇と後白河天皇の対立。皇室・藤原氏・源氏・平氏が親兄弟を敵として戦った。→武士が政権を左右する)。西行は平清盛、源頼朝とは同世代。
(注2)平時忠…「平家にあらずんば人にあらず」は時忠の発言。姉の時子は清盛の妻。

四国への旅(仁安ニ年(1167))
崇徳院は、長寛二年(1164)配所の讃岐で亡くなっている。西行は親交のあった崇徳院の霊をなぐさめるために讃岐・西国へ旅立った。
崇徳院の御陵に詣でた折りの西行歌
松山の 波に流れて 来し船の やがて空しく なりにけるかな」(『山家集』1353)
(意訳)(松山の地に配流された崇徳院は、帰京の悲願も空しく、そのまま当地で崩御されたのですね。)
よしや君 昔の玉の ゆかとても かからん後は 何にかせん」(『山家集1355)
(意訳)(崩御された今となっては、たとえ昔のまま玉座にあらわれたとしても、それが何になりましょう。どうぞ.やすらかに。)
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**あとがき**
・西行は、生涯二千首を越える歌を残している。西行の歌は、専門的な型にはまった物の見方をしていない。西行の歌が惹きつけるのは、彼の人間性がにじみ出ているからである。
・西行は、生涯に二度、奥州に旅をしている。最初は30歳前後、みちのくの歌枕にあこがれ、能因法師などの足跡を訪ねている。二度は文治二年(1186)69歳の時。東大寺再建のために勧進の仕事に打ち込んでいる。鎌倉で源頼朝に謁え、平泉では藤原秀衡のもとまで行っている。…芭蕉は、西行を思慕し、崇敬して、その足跡を自らも辿って旅をした。
・建久元年(1190)旧暦2月16日、西行は73歳で河内の弘川寺で入寂した。
願はくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ」(『山家集』77)