・日時:7月26日(火)am10時〜12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:若井敏明先生(関西大学非常勤講師)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1.最澄と空海(入唐前)
◇「最澄」 (766または765〜822年)
・近江国の生まれ。俗名:三津首広野(みつのおびとひろの)
・宝亀11年(780)、近江国分寺で得度。
・延暦4年(785)4月、東大寺で具足戒を受け、比丘(国家公認の僧)となる。その7月、比叡山に修行の場を求めて入山。
・延暦16年(797)、内供奉十禅師に加えられ、桓武天皇に近侍。
・延暦21年(802)、京都高尾山寺(神護寺)において天台三大部を講義(南都の仏教界も列席)
■『願文』(がんもん)…最澄がこの比叡山入山の直後に著したものが『願文』で、そこには、最澄の仏教者としての誓いが五ヵ条記してある。(右上の資料は冒頭文)
「(冒頭文)この世界は、ただ苦の世界で、安らかなことはまるでない。さわがしいあらゆる生きもは、みな患(うれ)いにしずんでたのしむことがない。」(最澄の入山の動機は、世の無常を見つめ、自己の未熟を恥じ、仏道修行を実現するために五つの誓願を立て、それが成就するまでは下山しないと誓った。)

◇「空海」(774〜835年)
・讃岐国の生まれ。幼名:佐伯真魚(まお)
・延暦8年(789)、母方の伯父、漢学者・阿刀大足(あとのおおたり)について儒学を学び、15歳の時に都の上り、やがて大学(官吏の養成機関)に入る。大学に入ってすぐに退学して、修験の道へ(坊さんになるには遅すぎ、やむをえず、得度もせずに、山林修行者の中に入り、山野を駆け巡り修行をした)。
■『三教指帰』(さんごうしいき)…空海は、24歳の時、『三教指帰』を著した、出家宣言の書(仏教の教えが、儒教・道教・仏教の中で、最善であることが示されてる。(右上の資料は冒頭文)

2.入唐…延暦23年(804)第16次遣唐使船
・遣唐使船の第二船には、38歳の還学生(げんがくしょう)の「最澄」が、第一船には、31歳の留学生(るがくしょう)(20年の長期留学生)の「空海」が乗っていた。(最澄は仏教界のエリートで、通訳・義真がつく。空海は、最澄に比べ、無名に近い。どうして留学生に選ばれたか不明〈伯父の阿刀大足が桓武天皇の皇子・伊予親王の教師であったことなどが考えられる。〉)
唐における二人
【最澄】:804年9月、中国明州(寧波)に着き、天台山で天台教学を学ぶ。さらに、禅、密教についても学ぶ。翌年(805年)5月に帰国。
【空海】:804年8月、中国南部の福州に漂着。ここから陸路で12月、都長安に入る。密教の第一人者であった青龍寺の恵果(けいか)から密教を学ぶ。空海は師の命により、密教を日本に伝える使命を担って、2年ほどで帰国。しばらくの間、九州に足止め。.請来した経典・絵画・彫刻・仏具などをとりまとめ「御請来目録」を作成し、朝廷に差し出す。

3.帰国後の最澄
・天台宗の開宗…延暦25年(806)、年分度者(ねんぶんどしゃ)二人公認。年分度者の割当fがあることは、その宗派は正式(国家公認)の僧を養成することができることを意味する。つまり、最澄の天台宗は公認された。

4.最澄と空海の交流(明暗分かれる)
・当時、天皇や貴族たちは、僧や神官に病気治癒力を望んだ。→「密教」に期待が集まっていた。
・最澄は、空海の「御請来目録」を見て、自分の密教の水準が、空海にはるかに劣ることを認める。…最澄は、弟子とともに、高雄山寺(神護寺)で、空海から密教の灌頂を受ける。(灌頂とは、入門などの儀式)。
・空海は、密教経典を最澄に貸し出す。(しばらくの間、親密な交友関係)。

(813年、空海、最澄からの経典借用の申し出をことわる)
借用した経典を読むだけで密教を理解しようとする最澄に、空海は経典の貸し出しを拒否。密教に対する見解に齟齬が生じ、816年頃には両者は別れ、それぞれ自分の信ずる道を歩むことになる。

〇最澄の苦闘
▲「三一権実論争」…法相宗の徳一との論争。法相宗の三乗思想と天台宗の一乗思想の論争。
▲「南都での授戒からの離脱」
▲「一遇を照らす」論争
古人言わく、径寸十枚、是れ国の宝に非ず。一遇を照らす、此れ則ち国宝なりと。」(意訳)(むかしのひとが言っている。直径一寸の宝玉が国の宝ではない。一遇にあって照らしている人、それこそ国の宝なのである。)
・右上の資料は、最澄真筆の「天台法華宗年分学生式」(818年)で、冒頭の文は有名です。
**古来、「照千一遇」は、「千」とは「于」の異体字だと解して、一隅を照らすと読んできた。しかし、近来、この「千」の字は、数字の千字そのままとるべきで、千里を照らすと読むと主張している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
**あとがき**
・9世紀の初め、最澄と空海という二人の偉大な宗教者があらわれ、天台宗と真言宗を開いた。大寺院での学問研究ではなく、きびしい山林修行をとおして、新しい救済宗教に到達し、山中の寺院を教団の拠点としたことでは共通している。
**************************************************************************************
平成28年「前期講座(歴史コース)」(3月〜7月:全14回講義)は7月26日で終了しました。講師の先生方並びに受講生・聴講生の皆様に厚く御礼申し上げます。