川端康成と〈京都〉−『古都』を軸として−


・日時:9月15日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:瀧本和成先生(立命館大学文学部教授)
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1.作品書誌
・初出…朝日新聞に連載(全107回)(1961年10月〜1962年1月)。挿絵は小磯良平。
・初版(単行本)…『古都』(新潮社 1962年6月)

2.作品の梗概(山本健吉「解説」(『古都』)を参照)
(1)京都の四季の風物と行事が折り合わされ、他方では京都各地の名所案内記も兼ねている。
(2)この小説の主人公は双子の姉妹。千重子と苗子(出生の秘密を負う)。
(3)全九章…季節の進行につれて物語が進んでいく。(春)−(春の花)(尼寺と格子)(きものの町)。(夏)−(北山杉)(祇園祭り)。(秋)−(秋の色)(松のみどり)(秋深い姉妹)。(冬)−(冬の花)。
(4)冒頭文…(春の花)「もみじの古木の幹に、すみれの花がひらいたのを、千重子は見つけた。《ああ、今年も咲いた。》と、千重子は春のやさしさに出会った。」から始まる。
(5)京都の風土性を描く…四季の自然、行事と場所、暮らしぶり。花や雪といった自然現象に加え、葵祭、鞍馬の竹伐り会、大文字、祇園祭、時代祭りなどの行事、千重子の家のある中京、苗子の暮らす北山、太吉郎が仕事場として籠もる嵯峨、秀男の働く西陣などのそれぞれの場所、花見に訪れる平安神宮や御室、竹伐り鞍馬、祇園、北野天神が描かれ、さながら名所案内。→川端康成は、美しいヒロイン姉妹を描こうとしたのか、京都の風物を描こうとしたのか、どちらが主で、どちらが従か、よくわからない。結局は、双子の姉妹は、ガイド役で、京都の風土、風物の引き立て役であろう。


3.作品を読む
(尼寺と格子)
「佐田の店は京呉服問屋として中京(なかぎょう)にある。まわりの店が株式会社にとなったように、佐田の店の形は株式会社である。太吉郎はもちろん社長であるが、取引は番頭(今は専務や常務)にまかせている。まだ、むかしのお店風のしきたりを、多分に残している。」
・千重子は老舗の呉服問屋の一人娘。父の佐田太吉郎。変わっていく京都。

(北山杉)
「高雄までくれば、一人でも、北山杉の村まで行く。…じつに真直ぐにそろって立った杉で、人の心こめた手入れが、人目でわかる。銘木の北山丸太は、この村でしか出来ない。…北山杉を見に行った千重子は、杉山から降りてくる山働きの女の中に自分そっくりの娘を見る。」
・この作品で有名になった北山杉の描写。

(秋深い姉妹)
「祭りのじつに多い京都で、千重子は、鞍馬の火祭りが、むしろ大文字よりも、好きであった。…ところが、今年は、この名物の火祭をやめた。倹約のためであるという。北野天神の《ずいき祭り》も、今年はなかった。」

(冬の花)
「千重子は苗子を自宅に誘い、苗子は一度だけと心に決めてその誘いを受ける。…床を並べて夢のような一晩を過ごした苗子は、あくる朝、《お嬢さん、これがあたしの一生のしあわせどしたやろ。》と言い残して、粉雪のちらつく町中を立ち去っっていく。」

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**あとがき**
・川端康成は、この『古都』の作品の取材のため、昭和36年(1961)初頭より、柊屋(京都三大旅館の一つ)を利用していた。一方、睡眠薬の常用による身体の不調は、新聞連載はかなりの苦渋をもたらしたようである。

・昭和43年(1968)12月、ノーベル賞授賞式で、「美しい日本の私」を記念講演。ここには、道元、明恵、西行、良寛、一休などの歌や詩句が引用され、「美しい日本」の心が語られる。
「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」(道元禅師)