「河内の群集墳を探る」

・日時:10月18日(火)am10時〜12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:安村俊史先生(柏原市立歴史資料館館長)
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群集墳(ぐんしゅうふん)とは
今から約1500年前の古墳時代後期、巨大な前方後円墳の造営が終わりはじめ、小規模で均一的な古墳が近接して数多く造営される。これらは群集墳と呼ばれ、古墳被葬者の数が飛躍的に増加した。。
・群集墳とは、古墳群の一形態で、一定の限られた地域に密集する多数の小型古墳からなる古墳群。
・群集墳は、基本的には、横穴式石室を内部主体とするのが特徴。(横穴式石室は、4世紀後半に日本に伝わった新しい埋葬施設。北九州に伝わったのち、近畿には遅れて伝わる。)
・(注)初期の横穴式石室を持つ古墳「高井田山古墳」(柏原市高井田)…5世紀末に築造された直径22mの円墳。畿内では最も早い段階で横穴式石室を導入した古墳の一つ。主体部は、ドーム状の天井部をもつ右片袖式の横穴式石室。石室の形態と出土遺物から百済(くだら)の影響が強くみられる。豊富な出土物から被葬者は百済からの渡来人で王族級の人々であったと考えられる。

河内の群集墳(四大群集墳)
畿内には河内、とくに生駒山西麓に集中している。…山畑古墳群(約50基)、高安千塚古墳群(約220基)、平尾山古墳群(約1400基)、一須賀古墳群(約260基)といった畿内でも有数な群集墳が所在する。

◆①山畑古墳群(東大阪市上四条町)
・生駒山地西麓の扇状地に立地する。60基以上が確認されている。
・古墳群の形成時期は、6世紀前葉〜7世紀初頭頃まで考えられ、6世紀後葉に造墓のピーク。
・副葬品に、馬具が多い。

◆②高安千塚古墳(.八尾市服部川・郡川ほか)(*右の資料を参照)
・生駒山地西麓の丘陵地帯に立地する。東西0.7km、南北1.1kmに220基を超える。
・大型の横穴式石室が多い。
・古墳群の形成時期は、6世紀前葉〜7世紀初頭。発掘調査が少なく、古墳に伴う遺物が少ない。
・(注)各地に、「千塚」(せんづか)と名づけられる群集墳がある。


◆③平尾山古墳群(柏原市高井田・安堂ほか)
・柏原市東部に位置する生駒山地南端の丘陵地帯に立地し、分布範囲は、東西4.5km、南北4kmに、8支群に及び、1408基の古墳。(平野部に近い支群から造営がはじまり、山間部へと広がっていくことがわかる。)
・我が国で最大規模の群集墳。
・古墳の形成時期は、6世紀前葉〜7世紀末。
・玄室内に2棺を並列した埋葬が多い(棺を二つ並べるのは渡来系の要素)。
・武具や馬具の副葬品が少ない。

◆④一須賀古墳群(大阪府南河内郡河南町・太子町)
・奈良県との府県境、葛城山の西に位置し、2km四方に、262基の古墳。
・古墳の形成時期は、6世紀前葉〜7世紀初頭。6世紀後半に最盛期を迎える。
・ミニチュア炊飯具が20基の古墳から出土。(ミニチュア炊飯具は渡来系の要素)

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まとめ
・群集墳でもそれぞれ特徴がある。⇒河内の四大群集墳にあいだで、築造時期・石室形態・副葬品などが大きく異なる。
*「高安千塚古墳群」…副葬品が少ない。渡来系の要素は希薄で、在地の集団と推定。そして、古墳群の盛行時期から物部氏との関係が考えられる。
*「平尾山古墳群」…武具・馬具の出土がほとんど見られず、軍事的要素が希薄な集団。渡来系の要素の濃厚な被葬者集団で、文人的集団、技術集団と推測。
*「一須賀古墳群」…平尾山古墳群と同じく渡来系の要素が濃厚な被葬者集団で、ミニチュア炊飯具を特徴的な副葬品とする集団で、系譜が違う集団と推測される

☆「八尾市立歴史民俗資料館」の見学(右上の写真は、資料館です。)
・日時:10月27日(木)午前11時頃、近鉄信貴線・服部川駅下車、歩いて約10分。
・特別展「河内の群集墳を探る」[開催日−10月8日〜11月28日]を見学。入館料200円(65歳以上は無料)。
・古墳時代後期に造営された大型群集墳である高安千塚古墳群を中心に、河内の群集墳を紹介。古墳群の特徴(石室・玄室の写真など)、出土遺物(須恵器、土師器、ミニチュア炊飯具、かんざし、鉄釘、金環・銀環、垂飾付耳飾、指輪など)を展示。