絵画を観る〜ピカソ〜


・日時:11月17日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:川田都樹子先生(甲南大学教授)
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「絵画を観る」の講義は、第1回セザンヌ、第2回モネ、今回は第三回でピカソ。
ピカソ(Pablo Picasso 1881年〜1973年)の略歴
スペインに生まれ、父は絵画教師で、ピカソは幼い頃から画才があった。19歳でフランス・パリに渡り、20代半ばで早くも売れっ子画家になる。91歳で亡くなるまで、「青の時代」、「ばら色の時代」、「キュビスム」、「シュルレアリスム」などと次々と作風を変えながら、第一線で活躍。生涯におよそ1万3500点の油絵と素描、10万点の版画、3万4000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作。(最も多作な美術家として「ギネスブック」にきされている。)


〈人生〉 1903年(23歳)、油彩・画布、196.5×129.2cm、クリ−ブランド美術館
・ピカソが20歳をすぎた頃の「青の時代」(1901−1904年)の薄暗く陰気な青を主に用いた陰鬱な作品。人生(La Vie)…裸の男女と子供を抱く女性は、異なる愛(性愛と母子愛)の対比か。青は冷たい色、悲しみ、不幸、苦しみの色である。
・右の写真は、ネットで検索(ピカソ「青の時代作品」より)。


〈アヴィニヨンの娘たち〉1907年(27歳)、油彩・画布、243.9×233.7cm、ニューヨーク美術館
・見たことのない造形。描かれた当初、「ピカソは気が狂った」と思われるほどであった。のちに初めてのキュビスムの作品一号で、コラージュの原型となり、20世紀の美術に大きな影響を与えた。(しかし、世間が追いつくまでは30年以上の年月を費やした。)
・バルセロナの売春宿を思い出して描いた作品。さまざまなポーズをする5人の裸婦。
人体も背景も幾何学形態に単純化されて描かれている。奥行きがほとんど感じられない。人物はさまざまな角度から見た図を一つにまとめて描いている。
・真ん中の二人の女は、見る者の目をまっすぐとらえ、表情は柔らかで、リアルに描かれている。右の二人の顔だちは、アフリカの仮面らしきものをかぶっている。しゃがんでいる女は、見る者に背中を向けているのにもかかわらず、顔はこちらを見つめている。

*セザンヌの「円錐、円筒、球」による幾何学的な自然把握がヒントになっている。
*伝統的な技法(遠近法、陰影)が無視されている。体は分解されて、再度組み立てられたようであり、表情はグロテスクでポーズは挑戦的。画面全体がうごめき雑然としている。


〈ゲルニカ〉1937年、油彩・画布、349.3×776.7cm、ソフィア王妃芸術センター
・1937年、ナチス・ドイツは、スペインの古都ゲルニカを爆撃し、町を全滅させた。これに怒りを覚えたピカソは、戦争の残虐さを訴え、平和の記念碑として、モノクローム(黒と白、そして灰色の画面)の〈ゲルニカ〉を描く。
・牡牛、倒れた剣士、中央のいななく馬。…歴史的な事件を、一つの闘技(闘牛というスペイン人の深層心理)を中心に描いたところに、事実を戯画化して伝えた、20世紀の記念碑的話題作。


〈泣く女〉1937年、油彩・画布ペンローズ、60×49cm、コレクション(ロンドン)
・滑稽味のあるカラフルな背景、人目を引くような夏の帽子をかぶる。
・彼女の顔は、横顔を正面から描かれている。彼女は、ハンカチを引き裂くばかりに「泣く女」の形相のすさまじさは、鮮烈な色彩対比によって、さらに強調されている。