・日時:12月8日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:根来尚子先生(柿衞文庫 学芸員)
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**前回までの復習(第一回〜第八回)**
芭蕉が門人の曾良をともなって、みちのくの旅に出たのは元禄二年(1689年)。芭蕉46歳、曾良41歳。江戸・深川を3月に出発し、東北・北陸を経て、8月に大垣(美濃)に到着。その間約150日、全行程約600里(約2400km)。
◆第一回:旅立ち(3月27日(陽暦5月16日)。江戸・深川から千住、草加。⇒◆第二回:室の八島、日光(4月1日〈5月19日〉)。⇒◆第三回:那須野、黒羽、雲岩寺。⇒◆第四回:殺生岩・遊行柳、白河の関(4月20日〈6月7日〉)。⇒◆第五回:須賀川、安積山、信夫の里、飯塚の里。⇒◆第六回:笠島、武隈の松、壺の碑。⇒◆第七回:末の松山、塩竈、松島(5月9日〈6月25日〉)。⇒◆第八回:瑞巌寺、石巻、平泉(5月13日〈6月29日〉)
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〇第九回…平泉から「尿前の関」、「尾花沢」、「立石寺」、「最上川」
芭蕉は、この旅の大きな目的の一つであった平泉に5月13日(陽暦6月29日)の行き、「兵どもが夢の跡」をめぐり、中尊寺金色堂を訪れる。その後、芭蕉は、太平洋側から日本海側に歩を進め、峠をいくつも越えながら奥羽山脈を横断し、出羽の国(山形・秋田県)に向かう。
(一)尿前の関(しとまえのせき)
(概説)「平泉を南下して、岩手の里に泊まる。それから、次の目的である尾花沢に向かうため、小黒崎、鳴子温泉から尿前の関に着く。この関は、旅人が少ないところなので、関所の番人に怪しまれて、やっとのことで関所を通った。国境を守る番人の家に宿泊した。」
★「蚤虱の尿する枕もと」(芭蕉)季語:蚤(のみ)(夏)
(意訳)(尿前の関で、関所の番人の家に宿泊したときの句。蚤(のみ)、虱(しらみ)、おまけに、頭のすぐ上で馬の放尿の音まで、眠られぬ枕もとに響いてくることだ。-山中の旅寝のわびしさを表現した句。「尿」の読み方は、シト・バリ両説あるが、「する」が続く場合はシトすると読む。)
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(二)尾花沢(おばなざわ)
翌日は、案内人をやとって荷物を持たせ、今の山刀伐峠(なたぎりとうげ)を越えて、尾花沢にたどり着く。
(概説)「尾花沢には島田屋八右衛門という豪商が居り、清風と号した俳人。芭蕉は、ここに十日ばかり滞在して、旅の疲れを休めたり、土地の俳人たちとの交歓。」…芭蕉は、尾花沢の人々のすすめで、旅の計画にはなかった山寺(立石寺)を参詣する。
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(三)立石寺(りっしゃくじ)
(現代語訳)「山形藩の領内に立石寺という山寺がある。とりわけ清らかで物静かな所である。一度見物しておくがよい。」といって、人々が勧めるので、尾花沢から引き返して立石寺へ行った。着いたときは、まだ暮れていなかったので、山上の堂に登ってみた。岩の上に岩を重ねたようにして山ができており、土や石も古びて苔が滑らかに覆い、岩の上に建てられたお堂は、どれも扉がしめてあって、物音一つ聞こえない。崖を回り、岩の上を這うようにして仏殿に参詣し、あたりをながめると素晴らしい風景はひっそりと静まり返っていて、ただもう心が澄み切っていくような感じがするばかりであった。」(芭蕉の立石寺参詣は、5月27日(陽暦7月13日))
★ 「閑さや岩にしみ入る蝉の声」 (芭蕉)季語:蝉(夏)
(意訳)(立石寺は全山ひっそり静まり返っている。その静寂の中で、蝉の鳴き声だけが岩の中にしみ入っていくように聞こえ、あたりは閑寂そのものである。)
・この句は、「山寺や石にしみつく蝉の声」(『俳諧書留』)が初案で、「さびしさや岩にしみ込む蝉の声」が再案を経て、「閑さや」(しずかさや)の句形に固まったもので、心にしみる傑作は、こうした苦心の推敲から生まれた。…「蝉の声」を聞いて、なおいっそう静寂さが見にしみたというのである。
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(四)最上川(もがみがわ)
(現代語訳)「最上川はみちのくから流れ出て、山形辺を上流としている。中流びは碁点とか隼などという危険な場所がある。それから、板敷山の北側を流れて、終りは酒田の海に流れ込んでいる。…白糸の滝は青葉の透き間に流れ落ちているのが見え、仙人堂は川岸のすぐそばに建っている。川は水量が増し、勢いよく流れて、乗っている舟は危険を感じるほどである。」
★ 「五月雨をあつめて早し最上川」 (芭蕉)季語:五月雨(夏)
(意訳)(折から山野に降り注ぐ五月雨を集めて(水量を増し)、早い勢いで流れていく最上川よ。)
・最上川は、富士川・球磨川とともに日本三大急流の一つ。山形県の吾妻火山群から北へ米沢・山形・新庄を通り、庄内平野を西に流れて酒田港付近で日本海にそそぐ。
・初案は、「五月雨を集めて涼し最上川」であったのを推敲して、「早し」と改めた。芭蕉の実体験…「涼し」といったときは、それは最上川をながめて作った句であるが、それに対し、「早し」と言ったときは川舟で急流を下るときの実感。
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[参考資料]
・「おくのほそ道」(講談社、久富哲雄・全訳注)
・「奥の細道を旅する」(JTB出版、1997年)