『万葉集』もっとも古い時代の歌

・日時:1月5日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:市瀬雅之先生(梅花女子大学教授)
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**前回の復習**「万葉集の巻頭歌を読む」(H28年6月)
◆『万葉集』(全20巻)は、雄略天皇の巻頭歌で始まる。
籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます子 家告らせ 名告げらさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ しきなべて 我こそ居れ 我こそは 家をも名をも」(巻一・一)
《これは若菜を摘む女性に、雄略が語りかけた歌である。「籠」や「土を掘るへら(堀串ふくし)」をきっかけに、その名前や家を聞き出そうとする若き帝(雄略)。》
・万葉時代、雄略天皇(在位420〜479年)は王権発達史上の英傑と認めていたようで、万葉集が雄略の歌から始まる理由もそこにあると思われる。

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『万葉集』もっとも古い歌(巻二)
万葉集の最も古い歌は、仁徳天皇の皇后磐姫(おおきさき いわのひめ)といわれる。
磐姫皇后が天皇(仁徳)を思ってお作りになった相聞歌四首
・「君が行き日長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ」(巻二・85)
(君の旅は日数を経て久しくなった。山道を訪ねてお迎えにいこうか、それともここでひたすら待っていようか。)
・「かくばかり恋ひつつあらずは高山の岩根しまきて死なましものを」(巻二・86)
(これほど恋しい思いをするくらいなら、高山の岩を枕にして、死んでしまう方がましです。)
・「ありつつも君をば待たむうちなびくわが黒髪に霜の置くまでに」(巻二・87)
(このままずっと君を待ち続けましょう。長くない私の黒髪に、霜が白く置くまで。)
・「秋の田の穂の上に霧らふ朝霞いつへの方に我が恋やまむ」(巻二・88)
(秋の田の稲穂の上に立ち込める朝霧のように、一体いつになったら、私の恋は止むのだろうか。)

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嫉妬深い磐姫皇后の物語
・仁徳天皇(第16代)(大雀命おほさざきのみこと)は、難波の高津宮で天下を治めていた。
・仁徳天皇の皇后磐姫(石之日売命)は、嫉妬深い女性だった。
「黒日売(くろひめ)」の物語(古事記:下つ巻(仁徳記))
「皇后、石之日売命(いわのひめ)は、激しく嫉妬する方でした。…吉備の女・黒日売が美しいことをお聞きになって、天皇は召し上げました。しかし、皇后の嫉妬に恐れて、故郷に帰ってしまった。…」(以下、省略)
「八田若郎女(やたのわきいらつめ)」の物語 (古事記:下つ巻(仁徳記)
「黒日売のことがあってのちのこと。石之日売命は酒宴を催す準備のため、紀伊国へと出かけた。その留守に、天皇は八田若郎女を宮に迎え、結婚した。酒を盛るのに使う御綱柏(みつながしわ)を船に積み込み、いざ宮殿に帰ろうというとき、石之日売命は、天皇と八田若郎女のことを聞いて、ひどく恨み怒り、御綱柏をすっかり海に投げ捨ててしまう。そして、皇后は、高津宮に戻らず、船を綱で引いて宮から離れ、難波の堀江を遡り、川に沿って山城国へ上って行った。…」(以下、省略)
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**あとがき**
・『万葉集』は、7世紀から8世紀にかけて編纂された、わが国に.現存する最古の歌集である。『万葉集』には、5世紀の大王・仁徳天皇の時代から、8世紀中頃までの歌が収められている。(本格的な万葉時代は、舒明天皇(在位629-641年)の時代からである。)
・『万葉集』(全20巻)の巻頭歌は、雄略天皇の歌。最も古い歌は、巻二の仁徳天皇の皇后磐姫の歌四首。…(但し、雄略天皇の歌や磐姫皇后の歌は、いずれも作者未詳の伝承歌というべきもので、古代の恋歌と考えられる。)
・全20巻の構成は、ある時期に少数の編者によって統一的に編まれた歌集ではない。巻によって編者は異なり、増補を繰り返し、段階的にまとめられたと考えられる。
・『万葉集』の歌の内容は、「雑歌」、「相聞歌」、「挽歌」の三部立てが代表的である。
・仁徳天皇を取り巻く女性達(同盟関係を結ぶための結婚も多い)。石之日売命は有力豪族・葛城氏の娘で皇族以外で初めての皇后。八田若郎女は応神天皇の皇女。黒日売は吉備氏の娘。…子供ができた場合の皇位継承からみて、八田若郎女は、石之日売命にとって一族の今後を左右する意味でも絶対譲れない相手であった。