「戦国期の女城主」


・日時:3月14日(火)am10時〜12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:天野忠幸先生(天理大学准教授)
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戦国期(中世)の女城主
・中世に広く認められた女性の家督権…「夫は息子がいても、妻に器量の判定を委ねる。家督の決定は妻の裁量に(女性が一時的に家督を掌握)」。
・戦国時代、家を存続させるいく上で、後家にそれなりの権限を持たせていた。家督の決定権を握る場合もあったし、跡取りが決定するまでの家父長権を握ることもあった。
・夫に代わって甲冑に身を固め出陣した妻もいれば、まだ幼い子に代わって城を死守した母親もいた。
・夫の死後、出家し、尼さんになるのがふつうであった。
・戦国時代の女性は、家督も財産も継承。→江戸時代の大名家の取りつぶしの原則は「無嗣断絶」(子供がいなかったらお家断絶)。

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「おんな城主 井伊直虎」
2017年、NHK大河ドラマの主人公に取り上げられる。
**井伊直虎**
・天文4年(1535)?〜天正10年(1582)
・戦国時代の井伊家は、遠江(とおとうみ)(今の静岡県西部)の井伊谷(いいのや)という地域を治める地頭職で、国人衆とよばれる小さな勢力に過ぎなかった。
・国人領主・井伊直盛の家に、「直虎」は一人娘として生まれる。→井伊家の男子がことごとく死亡(暗殺・討死)という事態がおきる。→次郎法師を当主にして、直政(2歳)の後見人として、井伊家を託される。
・井伊直政は、徳川四天王の一家、彦根藩井伊家の藩祖。
◇次郎法師(直虎)の史料(*右上の史料を参照)
・「井伊家伝記」と「花押」…伝記には、次郎法師が女であること、直政の代わりに当主をつとめた」ことなどが書かれている。また、男の名前を名乗り、成年男子しかつかえない「直虎」の花押も用いている。
*(注)次郎法師に関する史料はわずかしか残されていない。直虎は男性?など諸説ある。

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○「武田信玄が恐れた寿桂尼
寿桂尼(じゅけいに)、今川義元の母。40年余り今川家を見守る。
・京都の公家の娘であった寿桂尼は、永正5年(1505)、駿河・遠江の二か国の戦国大名だった今川氏親に嫁いできた。
・氏親は、1526年に死去。後継者の氏輝は14歳で病弱。この時、氏輝の補佐役になったのが寿桂尼。→実際に寿桂尼の名で発給された公文書が残っている。1532年まで政務を執る。→1536年「花蔵の乱」家督争い。自らの子である五男(義元)が家督を継承。→永禄3年(1560年)桶狭間の戦いで義元は信長に討たれる。
・1568年3月、寿桂尼の死。…武田信玄は、寿桂尼が死ぬまでは動かず。同年10月信玄は駿府を占領。
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◆「将軍・菅領が頼みにした赤松洞松院尼
洞松院尼(とうしょういんに)は、菅領細川勝元(応仁の乱の東軍の総大将)の娘で、赤松政則に嫁ぎ、夫の死後、子義村に代わって印判状を出している。…(省略)
◆「西のおんな城主・立花誾千代
立花道雪は、大友宗麟の家臣で、軍師として知られた武将。男の子がいなくて、一人娘・誾千代(ぎんちよ)に家督を譲る。筑前の立花山城を相続した、勇ましい女性。…(省略)。