作家「松本清張」の誕生と〈事件仕立て〉のスタート(第一回)


・日時:4月13日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:吉村 稠先生(園田学園女子大学名誉教授)
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松本清張**略歴**(1909−1992年)
・1909年(明治42)福岡県生まれ。尋常高等小学校卒。
・作家清張の歴史は、1950年(昭和25)に始まる(41歳)。週刊誌の懸賞小説への応募、『西郷札』が懸賞三等。
・1907年(昭和27):(43歳)『或る「小倉日記」伝』で芥川賞受賞。
・代表作:『点と線』(1958年)、『眼の壁』(1958年)、『ゼロの焦点』(1959年)、『日本の黒い霧』(1960年〜61年)、『砂の器』(1961年)、『深層海流』(1962年)、『昭和史発掘』(1965〜1972年)、『邪馬台国』(清張通史)(1976年)など。(作家40余年、その作品は長編・短編他あわせて千篇に及ぶ。)
・清張のジャンルは広く、現代小説、推理小説、歴史小説、時代小説、ノンフィクション、現代史・古代史の研究など。

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松本清張の原風景
父母について
・父・松本峰太郎は、鳥取県日野郡矢戸村の裕福な田中家の長男として生れたが、貧農の松本家の里子となった。19歳の頃、家出し、広島で看護雑役夫をしていた。広島で紡績女工として働いていた岡田タニとは、広島で知り合って、結婚。しかし、峰太郎はタニを入籍しなかった。
・清張が生まれて明治43年には、広島から北九州に移っている。清張一家は、貧しい家。父は、病院看護雑役夫。、母は、字は一字も読めなかった。
松本清張の原風景を語りだす『父系の指』(私小説)
「…私は、自分の両親が人力車をひく車夫と紡績女工であったことにも、ほとんど野合に近い夫婦関係からはじまったということにも、あからさまな恥を感じない。しかし、自分の出生がそのような環境であったという事実は、他人とは異質に生れたような卑屈を青年のころには覚えたものであった。…(略)。」
・学歴は、尋常高等小学校卒。16歳頃からは家計の補助に働きに出た。学歴差別と貧窮に痛めつけられた清張の前半性−「私に面白い青春があるわけはなかった。濁った暗い半生であった。」と清張は『半生の記』で語っている。

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小説執筆で生活(職場・家庭)の停滞感打破を
懸賞小説への応募−『西郷札』が三等に入選
・1950年(昭和25)、「週刊朝日」が懸賞小説を募集した。清張は、《応募する気持ちはなかった。…ある日、冨山房の百科事典を広げた時、「さいごうさつ」という項目が目に入った。「西郷札」とは西南の役で西郷軍が熊本から日向に転進した時、その地方の物資を徴発するために発行した軍票のことである。(略)事典の解説は、西南戦争後のインフレにもふれていたので、現在の世相にもよく似ていると思い、西郷札を買占めて一儲けを企む商人的な人間を配したら面白い筋になりそうだと思った》。
・三等は賞金十万円。清張41歳。(当時、大卒初任給が5000円くらいだった。)
『或る「小倉日記」伝』が芥川賞を受賞
短編小説。「三田文学」(1952年初出)。1953年(昭和28)芥川賞を受賞。44歳。
**(あらすじ)「小倉在住の田上耕作は、頭脳明晰であったが身体の障害のため不遇をかこっていた。白川病院の書庫で蔵書整理の仕事を手伝い始めた耕作は、森鷗外の『小倉日記』の発見のために一生を賭けることを決意し、母の献身的な力に助けられて、鷗外の事跡を執拗に調査する。しかし、次第に病状が悪化し、歩行も困難になり、耕作の執念は実らなかった。『小倉日記』が発見されたのは、耕作の死の2か月後であった。」

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『天城越え』の意義
冒頭文に見る清張の強烈な『伊豆の踊子』への挑戦的意図
主人公の状況と容貌
「伊豆の踊子」は、高等学校の学生であり、紺飛白の着物に袴をはき、朴歯の高下駄を履く。「天城越え」は、16歳の鍛冶屋の倅で、裸足(はだし)。袴ははいていないが紺飛白を着ている。
天城越えの方向
「伊豆の踊子」の主人公は、東京からトンネルを越えて、踊子の一行と半島の先端の下田までくだる話。「天城越え」は、下田から北へ向かって天城を越えていくが、途中で下田に帰る。
時代の設定
「伊豆の踊子」は、主人公の今・現在のこととして述べられ、「天城越え」は、三十数年昔のこととして語られている。
松本清張の文芸的新境地
清張の天城越えは、主人公が30数年後に自分が天城越えをした時に起こった事件を回想する形式の推理小説である。(事件性を扱った〈社会派〉推理小説の確立)
**(あらすじ)「16歳だった「私」は、下田街道から修善寺方向に天城越えを試みた。この山を越えたら、自由な天地が広がっているように思えた。トンネルを通り抜けると、私は初めて他国に足を踏み入れる恐怖を感じた。…30数年後、「私」が経営する印刷所に、静岡県警から「刑事捜査参考資料」の印刷が持ち込まれた。「私」が驚いたのは、犯罪例に記された〈天城山の土工殺し事件〉が、天城越えの時、出会った流れ者の土工と自分が心引かれた艶やかな女に関わる事件であり、しかも少年だった自分が登場していることだった。印刷を依頼してきた田島老人は、この迷宮入りの事件の担当刑事で、事件の真犯人は当時少年であった私であることを知っている。…(略)」