能の魅力に迫る−「俊寛」を中心に−

・日時:6月8日(木)午後1時半〜3時半
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:北見真智子先生(大阪音楽大学講師)
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◇能とは…
・古典題材を取り上げ、幽玄美を第一とする歌舞劇。
・能楽堂、面、脚本、音楽、演技に独自の様式を備える。
・南北朝時代から室町時代にかけて発達、江戸時代中期にほぼ様式の完成をみる。

能『俊寛』
・作者:不明 素材:『平家物語』 場所:薩摩・鬼界ヶ島
・登場人物: シテ/俊寛僧都(面俊寛) ツレ:平判官康頼 ツレ:丹波少将成経
 ワキ:赦免使 アイ:船頭


あらすじ
高倉帝の中宮徳子の御安産の祈祷の大赦があり、平家打倒の陰謀が発覚して、鬼界ヶ島に流されていた平判官成経(なりつね)と丹波少将康頼(やすより)が赦され赦免使(ワキ)が都を発った。鬼界ヶ島では、成経(ツレ)と康頼(ツレ)が島に紀州熊野の三社を勧請し、赦免を祈る。ところが俊寛はこの熊野詣に加わらない。その後、熊野詣でから戻ってくる二人を俊寛が出会って、水を酒に見立てて宴のまねごとへと場面は展開。…そこへ赦免使が到着し、赦免状を示す。俊寛は慌て騒がず、康頼に読むようにいう。そこには成経、康頼の二人の名はあるものの、俊寛の名はなかった。誤りではないかと疑うが、赦免使は都で拝命したときも俊寛は残島させよとのことであったと告げた。俊寛は、長くもない巻紙を繰り返し見るけれど、どう見ても成経と康頼の名前しか書かれていない。…やがて、赦免使は二人を船に乗せて漕ぎ出そうとする。俊寛は「せめて向かひの地(九州の薩摩の地)まででも」と懇願し、康頼の袂にすがり、船のとも綱に取りすがるが、舟人はそれも押し切って船を出す。俊寛は渚に一人取り残される。

**『平家物語』−鹿ヶ谷陰謀発覚〈治承元年(1177年)〉
・「鹿の谷」(ししのたに)(巻一):俊寛の山荘(京都東山の鹿の谷)で、新大納言藤原成親、後白河院の寵臣(丹波少将成経、平判官康頼、僧俊寛、西光法師)らが、平家打倒のクーデターの陰謀を行なう。
・「西光被斬」(さいこうがきられ)(巻二):陰謀に参加していた武士の多田蔵人行綱が変心して、清盛に密告。驚いた清盛は、後白河院は幽閉、関係者は逮捕処断。西光は斬首されてさらし首、主犯成親は、備前の児島に流され(流刑先で殺される)。成経、康頼と俊寛三人は、鬼界ヶ島に流される。


シテ 「俊寛」の扮装
*(おもて)(上記の写真を参照)
「俊寛」のシテしか使われない専用面、げっそりと肉が落ち目がくぼむ。(憔悴した相貌が不可欠。(注)通常は現実に生きている男役は、面をつけないことが多い。「俊寛」が面をつけるのは、それだけ主人公俊寛の個性が強いということになる。
*扮装(右の写真を参照)
かつて僧職、今は流人。二つの側面を考慮しながら、どちらをどの程度表面化するかがポイント。(演者の解釈や演出意図が託される)。
・流派によって扮装は違う。
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**あとがき**
・能「俊寛」は、三人が鬼界ヶ島に流されてから三年後の物語。
・結末…能では、なぜ俊寛だけが許されないかを因果関係で説明していない。悄然たる俊寛を残し、船影も人影も消えてゆく。劇的な能で舞が無い。理不尽な運命を前に、戸惑い、怒り、嘆く、極限に追い詰められた人間の弱さを、俊寛の姿を通じて描いている。