○前日の講義「船形だんじり」(上野先生)を拝聴し、科長神社に行ってみたくなり、太子町を散策しました。
—
・日時:1月21日(日)am10時半〜pm3時
・【コース】:近鉄・喜志駅前…(徒歩)…叡福寺(聖徳太子御廟)…たいし聖徳市(イベント)(昼食)…太子町役場(図書館)…用明天皇陵…科長神社…小野妹子墓…六枚橋=(バス)=喜志駅 (約8km)
・天候:晴れ(暖かい日)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆叡福寺(えいふくじ)(太子町大字太子)(*右上の写真は、叡福寺南大門)
叡福寺は、聖徳太子の墓前に営まれた寺院で、磯長山(しながさん)と号する。推古天皇が聖徳太子の墓を守護する香華所として建立され、のち聖武天皇の勅願で伽藍が造営されておおいに栄えたが、戦国時代末に織田信長の兵火で焼失した。その後、江戸時代に豊臣秀頼によって聖霊殿が再建され、次第に伽藍の整備がすすんだ。
*(注)平成33年(2021年)聖徳太子1400御遠忌の立札あり。
—
◆聖徳太子御廟(太子町大字太子)
叡福寺北古墳には、聖徳太子の御廟があり、聖徳太子本人とその母・穴穂部門人皇女(あなほべのはしひと)、太子の妃・膳郎部(かしわでのいらつめ)の三人が葬られているところから、三骨一廟と呼ばれている。
・この墓前には、空海、親鸞、一遍、日蓮をはじめ多くの高僧が廟内で修業したと伝えられる。
*たいし聖徳市…毎月第3日曜日に、太子・和みの広場でイベント開催。21日がこの日に当たったので、屋台で弁当を買って昼食。(約百人が参加)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆科長神社(しながじんじゃ)(太子町大字山田)
延喜式内の神社で、山田、畑、葉室の五百有余戸の産土神。科長津彦命、科長津姫命を合祀し、そのほか天照大神外六神をまつり、江戸時代以降の俗称として八社大明神。
・社殿…本殿、拝殿
・社宝…神功皇后雛形兜
・例祭日:7月第4日曜日
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆小野妹子墓(太子町大字山田)
科長神社南側の小高い丘の上に、古くから小野妹子の墓と伝えられる塚がある。小野妹子は、推古天皇の時代に遣隋使として、二度にわたって派遣された人物である。(*右の写真…階段を上がると、丘の上に楕円状の墳丘がある。)
・小野妹子について、その生没年や墓所(近江にも小野妹子塚と伝えられる唐臼山古墳がある)等については、はっきりしたことはわかっていない。
・華道池坊との関係:塚に立つ碑文によると「華道池坊は小野妹子を華道の道祖と考えて、妹子塚を修築した。」…池坊では、大正10年この小野野妹子塚を修築し、毎年墓前祭(6月30日)を行なっている(家元や関係者数百人が妹子塚に参拝)。