日本近現代史『日清戦争』

(%緑点%) 「前期講座(歴史コース)」(3月〜7月:全15回講義)の第2回講義の報告です。
・日時:3月13日(火)am10時〜12時
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題:日本近現代史『日清戦争』
・講師:原田 敬一先生(佛教大学歴史学部教授)
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(%エンピツ%) 講義の内容
1.はじめに−「歴史的事実とは・・・
・100%事実が残っているものは無い
・資料を探すのは大変な作業
・今に残っている歴史的事実を、”どうえがくのか”→無数の事実とその解釈。歴史像
・限られた資料の中で→自画自賛でなく、厳密に

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2.教科書の中の「日清戦争」
1943年・第6期国定教科書『国史』 (小学校6年) 2011年・『日本史A』(高校2〜3年)
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*右は、『日本史A』(2011年発行、東京書籍)の
第2章(近代国家の成立と国際関係の推移/日清戦争と国際関係)です。
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○日清戦争【1894年(明治27年)〜1895年(明治28年)】
日清の対立、緊張関係⇒東学党の反乱(甲午農民戦争)(1894年5月)⇒日清の出兵→ 開戦(1894年8月)(豊島沖海戦、黄海海戦、威海衛攻略)⇒講話→下関条約(1895年4月)⇒台湾攻略

●戦争は複合的
・(19世紀〜20世紀)外交の解決手段としての戦争(戦争によって、以前の外交関係は壊れる)
・戦争の結果も外交関係に変化をもたらす(終わらせ方に政治の課題)

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3.「日清戦争」は何を変えたのか
○下関条約(1895年4月17日調印)
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*右は、明治28年(1895年)4月17日に調印された
日清講話条約(下関条約)です。
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【内容】
・朝鮮に対する清朝の不干渉(朝鮮の独立/清の宗主権放棄)
・遼東半島、彭湖諸島、台湾の割譲
・重慶ほか4港の開港
・賠償金2億両(テール)(約3億1000万円⇔日本の国家予算の2倍以上)など

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4.日本の変化
・歳入の増加
・増税(間接税)
・軍事費の増加(対外緊張の持続)

○日清戦争の賠償金(2億両+3000万両)(約3億6500万円)の使途
(注)2億両(テール)は下関条約による賠償金、3000万両は三国干渉により遼東半島を清国に返還することによる賠償金
*右の23表「償金の使途」をご覧ください。…ほとんどが軍備拡張費・臨時軍事費の補強に使われています。

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*まとめ*
・戦争を学ぶときは、「なぜ、そうなったのか」、「どうような戦争なのか」、「どのように終わらせたのか」が大切です。
・日清戦争の戦死者は、日本(約2万人)、清(約3万人)、朝鮮(約3〜5万人)と多く、この数字をみても大きな戦争です。
・「当時は、まだ小さな若い国(司馬遼太郎)」であった日本は、日清戦争という大規模な対外戦争をはじめて経験することで変化し、国際的地位が向上し、大陸進出の足場を築きました。
・賠償金の大半をを軍備拡張費として使い、軍事費が国家予算に占める割合は、1893年(明治26年)32%、96年48%、97年57%と急速に拡大し、軍国主義化の道を進むことになります。
・一方、「眠れる獅子」といわれた清朝の弱体が白日のもとにさらされると、列強(露・独・仏・英)は租借地を獲得して勢力範囲を設定、鉄道の建設、鉱山の開発などさまざまな利権を手に入れた。