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・日時:10月23日(火)am10時〜12時
・会場:すばるホール(富田林市)
・講師:平林章仁先生(元龍谷大学教授)
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○復習「三輪山の古代史①−「麻糸で結ばれた神と女の物語」
・『古事記』『日本書紀』には、三輪山の大物主神と巫女的な女性と交わる三つの神秘的な神婚神話が伝えられている。これら大物主神に関わる神話・伝承には、ヤマト王権成立の重要な鍵が秘められている。
・「麻糸で結ばれた神と女の物語」(概説)…崇神天皇の御世に、疫病が流行って人民が絶えてしまいそうになった。大物主神の祟りで疫病が流行したが、河内の美努(みの)村のオオタタネコを神主として祭らせたら終息させた。…陶邑の首長の娘.イクタマヨリヒメは容姿が端麗であった。ヒメのもとに夜毎に通う男がおり、まもなくヒメは身ごもった。そこで両親は、男の正体をつきとめるために、糸巻に巻いた麻糸を針を通して男の衣の裾に刺すように娘に教えた。翌朝、糸は戸のかぎ穴から抜け出ており、糸を頼りに訪ねて行くと、三輪山の神の社にたどり着いた。そこで、娘の腹の子(オオタタネコ)は、この社の大物主神の子と知れた。
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■三輪山の古代史②−丹塗矢伝説(丹塗矢と交わった女)
・丹塗矢伝説:神が丹塗矢に姿を変えて女性に近づくという神婚の伝説。
(1) 『古事記』神武天皇段(神武天応の后の誕生)
・(古事記)…三輪山の大物主神が、丹塗矢に化して溝を流れて、用を足していた三島溝咋(みしまみぞくい)の女のセヤダタラヒメに近づき、のちに美男子に姿を変えて、ヒメと結ばれ、生れた子がホトタタライスキヒメという。(神武天皇の大后ホトタタライスキヒメは、摂津の三島溝咋の女セヤダタラヒメと大物主神の神婚で生れた神の御子である。)
(2) 『日本書紀』神代紀第八段一書第六
一書(あるふみ)に曰く、事代主神が、八尋熊鰐(大きなワニ)に化して、三島溝樴姫(みぞくいひめ)に通い、結ばれた子が神武天皇の大后。
*注1:古事記は大物主神を特筆し、三輪山麓を話の舞台にしている。日本書紀は、事代主神を主役としている。事代主神は賀茂氏の奏祭神。(賀茂氏の祖先伝説が採択されている)
*注2:神武天皇の大后の出自は、母系は.同じであって、摂津の三島。しかし、父系は三輪山の神(大物主神)とする古事記、事代主神と伝える日本書紀で、異なる。
*注3:三島とは、大阪北部(茨木市、高槻市などの地域)を指す。
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◆『山城国風土記』逸文の賀茂神話
「…山城国の賀茂氏の祖伸・賀茂建角見命(かもつたけつぬみのみこと)と丹波国の神野のイカコヤヒメの間に生れた玉依日売が、川に丹塗矢と化して流れきた火雷神(ほのいかづちのかみ)と結ばれたのが、可茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)であるという。」
・.京都の上賀茂神社、下鴨神社にも丹塗矢伝説があり、周辺には葛城地方と共通する地名も多い。大和から山城に、賀茂の一族が移っていった。
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**あとがき**
・丹塗矢型三輪山神婚伝承が、山城の賀茂氏系の強い影響をうけている。神武天皇の大后の父を「事代主神」とする日本書紀の所伝は、葛城の賀茂氏の主張にもとづいていると思われる。
・神武天皇には、すでに后妃がいたが、東征後、落ち着こうとする地で、.新たな后を求め、ヤマトの王者に転身しようとしたことが考えられる。