講座日誌(歴史)③・・・斉明天皇とその時代

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日時:3月26日(火)am10時〜12時
会場:すばるホール(富田林市)
講師:市 大樹先生(大阪大学准教授)
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斉明天皇とは
・594〜661年。皇極天皇、重祚して斉明天皇は、第35代、第37代天皇。在位:皇極(642〜645年)、斉明(655〜661年)。
・舒明天皇の皇后で、天智天皇(中大兄皇子)、間人皇女、天武天王(大海人皇子)の母。(.孝徳天皇は弟)。
・皇極4年(645)に乙巳の変が起きる。中大兄皇子と中臣鎌足らが謀り、蘇我入鹿を殺害。皇極は退位し、軽皇子が即位(孝徳天皇)。→孝徳天皇は難波に遷都し難波長柄豊崎宮を造営。

◆難波から飛鳥へ
・白雉4年(653)に、中大兄皇子は難波を去って「倭(やまと)の京(みやこ)」に戻ることを奏請したが、孝徳は拒否。→中大兄皇子は、母・皇極、妹で孝徳の皇后、間人(はしひと)皇女を奉じ、大海人皇子や公卿大夫・百官の人らを率いて、大和の飛鳥に帰った。→この事態は孝徳に大きな痛手。翌654年、孝徳は難波で崩御。655年、皇極が飛鳥板葺宮で重祚…斉明天皇である。

◆斉明天皇の時代
(1)飛鳥での大土木工事
『日本書紀』は斉明について、「時に興事を好む」。「溝を掘らせ、香具山の西から石上山にまで及んだ」と大工事を行い、「狂心」(たぶれごころ)の渠(みぞ)の工事に,舟200艘、3万人余りを動員、垣を造るむだな人夫は七万余り」と人々から謗られたとある。他にも、多武峰(とうのみね)に観(たかどの)と両槻宮(ふたつきのみや)を建てたり、苑池などの大土木工事を行なったとある。(来朝した外国人使節に見せるため。)
(2)東北の平定(7世紀後半)
阿倍比羅夫が率いる軍が遠征し、蝦夷(えみし)のほか、粛慎(みしはせ・民族系統不明)を討ったと『日本書紀』に記録されている。
(3)斉明5年の遣唐使の派遣。
(4)朝鮮半島の動乱に直接関わった斉明天皇時代
斉明6年(660)、百済滅亡に伴う救援軍を朝鮮半島に派遣。大軍団が朝鮮半島に送られ、斉明女帝も中大兄皇子とともに、九州の前線(筑紫)に赴いて指揮をとったが、遠征中に女帝は病没。⇒663年、白村江の戦いで大敗北。
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**あとがき**
・乙巳の変に直面した皇極天皇時代、朝鮮半島の動乱に直接関わった斉明天皇時代。それはまさに半島情勢の急変が日本を直撃し、王家が政治の実権を奪還して、王権の拡大に乗り出した時期である。