(%紫点%) 前期講座(文学・文芸コース)の第4回講義の報告です。
・日時:4月5日(木)午後1時半〜3時半
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題: 谷崎潤一郎〜『春琴抄』の謎と船場〜
・講師:三島 佑一先生(四天王寺大学名誉教授)
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[谷崎潤一郎(関係資料)]
・1886年(明治十九年)〜1965年(昭和四十年)逝去(80歳)
・1923年(大正十二年)9月関東大震災。一家を挙げて関西に移住。
・戦中の岡山(津山市・勝山町)への疎開から京都・熱海へと移り住んでいます。
・【作品・年譜】:「蘆刈」(1932年)、「春琴抄」(1933年)、「細雪」(上巻1944年、下巻1948年)
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*右上の写真は、『春琴抄』(創元社刊)の初版本です。
(「春琴抄」は1933年6月『中央公論』に発表、同年8月創元社から刊行)
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(%エンピツ%) 講義の内容
1.『春琴抄』について(あらすじ)
(1)本文
☆(幼いときに失明した春琴)⇒「九歳の時不幸にして眼疾を得・・・両眼の明を失えば・・・」
☆(佐助、春琴が稽古にいくお伴役になる)⇒「春琴は丁稚に手を曳かれて稽古に通ったその丁稚と言うのが当時佐助といった少年」(春琴十歳、佐助十四歳)
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☆(親達は、娘に佐助との結婚をさとしたが、春琴はにべなく峻拒す)(春琴十六歳)⇒「・・・意外にも彼女はにべもなく峻拒した自分は一生夫を持つ気はない殊に佐助などとは思ひもよらぬ・・・」⇒「春琴は妊娠、男の子を生む・・・」
☆(春琴独立し、一戸を構え、佐助も一緒に住むが、主従の礼儀、子弟の差別を厳格)⇒「・・・「お師匠様」と呼び「佐助」と呼ばれた。春琴は佐助と夫婦らしく見られるのを厭ふこと甚だしく・・・」
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★(春琴就寝中に何者かに襲われ、顔に大火傷)⇒「何者か・・・鉄瓶を春琴の頭上に投げ付けて去り・・・」(春琴三十七歳、佐助四十一歳)
★(佐助、自ら針で両眼を突いて失明する)⇒「佐助は春琴の死後十余年を経た後に彼が失明した時のいきさつを語った・・・我が目の中に針を突き刺し・・・」
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○「誰しも眼がつぶれることは不仕合せと思ふであろうが自分は盲目になってからさう云ふ感情をあじわったことがない寧ろ反対にこの世が極楽浄土にでもなったやうに思はれお師匠様と唯二人生きながら蓮の台の上に住んでいるやうな心地がした」
○「佐助から眼を突いた話を天竜寺の峩山和尚が聞いて、転瞬の間に内外(ないげ)を断じ醜を美に回した禅機を賞し達人の所為に庶機(ちか)しと云ふが諸者諸賢は首肯せられるるや否や」 (『春琴抄』の結語)
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*右上の写真は、三島先生が持参された谷崎潤一郎の生原稿で、
当時、印刷されて発売されました。読みやすい字体です。
谷崎潤一郎は、”推敲に推敲をかさね”一日に書く原稿は3枚と
決めていたそうです。
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2.まとめ
(1)『春琴抄』は、川端康成が「ただ嘆息するばかりの名作で、言葉もない」と絶賛 した日本近代文学史上屈指の名作。
(2)『春琴抄』は、道修町の薬種問屋の鵙(もず)屋に奉公した佐助が、その家の娘で盲目の琴三弦の天才、春琴を崇拝し、思慕し、ひたすら仕える、この世のものとも思えぬ男女の愛を描いた作品。
(3)船場の御寮人(ごりょん)さんを描く
・「蘆刈」のお遊さん…優婉、典雅に描き理想の御寮人さん
・「春琴抄」の春琴…わがままに育てられ、気ままで激しい気性の御寮人さん
(4)「春琴抄」の春琴・佐助は、谷崎の創作
・春琴に熱湯をかけて大火傷を負わせた容疑者探し−「外部の者の説、佐助犯人説など」あり、そういう論争自体無意味という説も出て、犯人説をめぐって収拾のつかない状況になっています。
・春琴・佐助は生没年月日が明記され、天竜寺の峩山和尚という実在の人物が2人を評した言葉まで書かれているので、…”寺町に墓を探す人が出たり”、“鵙屋はどの店かとうわさが飛んだりする”。
(5)谷崎の芸術至上主義
・谷崎は佐助になりきり、妻・松子を春琴にした。→描こうとする「献身の幸福」がこの世のものと思えぬ至上のもので、それを形象化するには、まず自分自身が体得せねば具現できない。谷崎は佐助を演じ、地で行く奉公人の姿勢を崩さず、松子も演出家(谷崎)のイメージを損なわぬよう御寮人然とした気位を保つ。ともに大真面目に演戯をしおおす。
・それほどまでに常人の至り得ない世界を作品にしようとする以上、並みのことでは描き得ぬと思ったからではないか。…谷崎が日々『春琴抄』を生きた真剣さが作品から伝わってきて、かくも徹底した男女の姿、師弟の姿もあるものかと襟を正さしめられる思いにさせられる。『春琴抄』が永遠のベストセラーであるのは、その得難い感動ではなかろうか。(三島先生)