「倭国の成立はいつか」

(%緑点%) 前期講座(歴史コース)の第6回講義の報告です。
・日時:4月17日(火)am10時〜12時10分
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題: 「倭国の成立はいつか」
・講師: 白石太一郎先生(大阪府立近つ飛鳥博物館館長)
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(%エンピツ%) 講義の内容
1.中国の史書にみえる倭のクニグニ
(1) 『漢書』地理志
・編者は、班固(はんこ)(西暦92年没)⇒西暦一世紀後半に倭国と云う存在が知られていた。
○「楽浪の海中、倭人あり、分かれて百余国となる。歳時をもって来たり献見すと云う」
(倭人が定期的に漢の楽浪郡を介して漢王朝(前漢)へ朝貢。100余の政治集団(クニ)を形成していた)


(2) 『後漢書』倭伝
・南朝の宋の時代(5世紀前半)に編纂された。⇒倭に関する記載の多くは、「魏志倭人伝」(3世紀末に書かれた)の記事による。
○ 「建武中元二年、倭の奴国、貢を奉りて朝賀す。・・・倭国の極南界なり。光武、賜うに印綬を以てす。安帝の永初元年、倭国王帥升等、生口百六十人を献じて請見を願う」
・建武中元二年(西暦57年)、「奴(な)国王」の朝貢
・永初元年(107年)、倭国王帥升等の朝貢

(3)倭国王帥升等とは?
北宋刊本 『通典』(つてん)によれば、「倭国王」ではなく、「倭面土国王師升等」とあり、 『翰苑』(かんえん)によれば「倭面上国王師升」とある。
・諸本の記載に異同がある。その解釈も「倭面土」を「ヤマト」と読む説や「倭のイト」と読んで「伊都(いと)国」にあてる説など、107年の朝貢をめぐる解釈は多岐にわたる。
(注)①『通典』…801年に完成。唐代までの制度史
(注) ②『翰苑』…唐代の百科事典。写本が大宰府天満宮で見つかる。

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2.『魏志』倭人伝(『三国志』魏書 東夷伝 倭人条)
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*右の資料は、山尾幸久氏の「新版・魏志倭人伝」
(読み下し文)です。
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・中国が三国時代(魏・蜀・呉:220年〜265年)の歴史をまとめた歴史書である「三国志」の中の「魏志」の東夷伝。
・三世紀の日本列島の政治情勢・風俗習慣・魏との外交関係を記載。
(1)約30カ国の小国連合
○「倭人は帯方の東南大海の中に在(お)り、山島に依りて国邑(こくゆう)を為す。旧(もと)は百余国、漢の時に朝貢する者有り。今使訳通ずる所三十国なり。」
(2)帯方郡から邪馬台国への方位と距離
・『魏志』倭人伝の記載をそのままにたどると、邪馬台国は九州のはるか南方海上に存在したことになる。九州説は距離に、畿内説は方位について何らかの修正を加えなければ成立しない。
(3)倭国大乱と卑弥呼
○「其の国、本亦(もとまた)男子を以て王と為す。住(とど)まること、七、八十年にして倭国乱れ、相攻伐して年を歴(ふ)。すなわち共に一女子を立てて王と為し、名づけて卑弥呼と云う」
(4)親魏倭王の金印
○「親魏倭王卑弥呼に制詔す。…今汝を以て親魏倭王と為し、金印紫綬をかす。」

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3.まとめ
(1)永初元年(107年)の遣使が「倭面土国王師」であったとしても、それを即倭国の成立と考えるのは適当かどうかは検討を要する問題である。⇒この時期の遣使の主体がが倭国王を名乗ったとしても、それはあくまでも玄界灘沿岸を中心とする北部九州のいくつかのクニグニが連合した、地域的な小国連合にほかならなかったと思われる。
(2)二世紀の時点では、こうした地域的名小国連合は、山陰地方・吉備地方、さらに後に畿内と呼ばれる近畿地方中央部などでも成立していたことが推測される。
(3)日本列島史の問題としては、北部九州の地域的連合の成立をもって倭国の成立ととらえるのは適当ではなかろう。やはり日本列島の比較的広い範囲を含む、広域の政治連合の成立をもって「倭国の成立」ととらえるべきであろう。
(4)倭国の誕生は、二世紀初頭の「倭国王帥升」の遣使ではなく、三世紀初頭の邪馬台国を中心とする近畿から北部九州に及ぶ広域の政治連合の成立の時点に求めるべきである。(白石太一郎先生)

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(%ノート%) 連絡事項
「南河内歴史ウォーク」第1回[4月22日(日)]の開催について
*第1回の応募は51名です。しかし、今日(19日)の予報では、22日は残念ながら雨の予報です。
雨天中止の判断
(%雨%)当日(4月22日)の午前7時台のNHK−TVの天気予報で、行き先の降水確率50%以上(午後)の時、ウォーキングは中止します。
○雨天中止の場合の振替日
4月29日(日)に行います。
・集合時間:午後1時(南海高野線「大阪狭山市駅」難波行き改札口
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