(%緑点%) 前期講座(歴史コース)の第9回講義の報告です。
・日時:5月22日(火)am10時〜12時
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題: 『平家物語』を読む〜鹿谷陰謀発覚〜
・講師: 四重田 陽美(よえだ ひろみ)先生(大阪大谷大学教授)
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* 平清盛[関係年表] *
・元永元年(1118):平忠盛の嫡男として生まれる
・久安2年(1146)29歳:安芸守につく
・保元元年(1156)39歳:保元の乱
・平治元年(1159)42歳:平治の乱
・仁安2年(1167)50歳:太政大臣になる
・治承元年(1177)60歳:鹿谷事件発覚
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(%エンピツ%) 講義の内容
1.はじめに
(1)源平盛衰記(げんぺいじょうすいき)と日食
・5月21日朝は「金環日食」で、日食グラスを手に、近畿地方で282年ぶり、名古屋では932年ぶりの天体ショーとなりました。
・「源平盛衰記」…天がにわかに暗くなった日食の場面があり、源氏は驚いて乱れたのに対し、平氏がかねて日食が起こるのを知っていて源氏を攻め立てたと記していいる。
(2)NHK大河ドラマ「平清盛」について
・“登場人物が多すぎて、ストーリーがわかりにくい”
・視聴率が低迷している
(3)鹿谷事件の主謀者「新大納言藤原成親卿」
・藤原成親(なりちか)と平氏は姻戚関係
-成親の妹婿は、平重盛(清盛の嫡男)
-成親の娘は、平維盛(これもり)(重盛の嫡男)の妻
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2.「鹿谷」(ししのたに) (平家物語 一之巻)
(あらすじ)
・嘉応三年(1171)、清盛の娘の徳子が入内(にゅうだい)。その頃、空いた大将の職をめぐってさまざまな思惑が交錯・・・「藤原成親卿もその地位を所望」
・清盛の嫡男小松殿(重盛)は右大将から左大将、次男宗盛は数人の上位を跳び越して中納言から右大将・・・「摂政関白の御成敗にも及ばず、ただ一向平家のままににてありしかば」 (摂政関白のご決定も力及ばず、ただひたすら平家のおもうままであった)
・自分が望む官位が得られず不満を抱いた藤原成親卿は・・・「平家の次男に越えるるこそ安からね。…いかにもして平家を亡ぼし本望を遂げむ」(平家の次男宗盛に越えられたのは、腹の虫がおさまらない。…なんとかして平家を亡ぼし、本望を遂げたい)
・鹿の谷での陰謀・・・「東山の麓鹿谷は、俊寛僧都の山庄あり。常に寄りあひ、平家滅さむずる謀をぞめぐらしける。或時法皇も御幸なる。・・・」(俊寛僧都(後白河院の近習の僧)の山荘で陰謀。ある時、後白河院までおいでになった。)
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3.「西光被斬」(さいこうがきられ)(平家物語 二之巻)
(あらすじ)
・陰謀に参加していた武士の多田蔵人行綱(ただのくらんどゆきつな)が清盛に密告・・・「つらつら平家の繁盛する有様を見るに…由なき事にくみしてんげり、もしこの事漏れぬるものならば、行綱まず失はれなんず、他人の口より漏れぬ先に返り忠して、命生かう」(この謀反は成功しそうにみえなかったので、もしこの事が漏れてしまったら、まず行綱が殺されだろう。返り忠して、この命、生きよう)
・驚いた清盛は、藤原成親、西光法師を捕え、拷問を加え、その全容を知る・・・「西光は、口を裂かれ、五条朱雀にて斬られにけり」。(西光は斬首されてさらし首)
(その後)・・・関係者は皆捕えられ、死刑や流罪となった。
・清盛は、後白河院まで追求の手をのばそうとするが、重盛が院の恩を説き、清盛を思い止ませる。
・成親は、妹婿重盛の清盛への説得で、一時命拾い。成親の息子・成経(なりつね)も舅教盛(のりもり)(清盛の弟)の尽力で、一時釈放。
・しかし、首謀者成親は、備前の児島に流され(流刑先で殺される)、成経・平康頼と俊寛の三人は、鬼界が島に流される。
・俊寛の運命…恩赦で二人は帰国が許されたが、俊寛一人は許されず、その地で果てた。
○鹿谷事件は、平家に対する反発が具体的な形となって表れた最初の事件としてよく知られる。
○平家物語では、鹿谷事件を平家の終りの始まりと認識して、一之巻、二之巻の数章にわたって事件の顛末をくわしく語っている。