(%緑点%) シニア文化塾「歴史コース」の笠井先生(大東市歴史民俗資料館館長)のご好意により特別展「堂山古墳群のひみつ」の見学会を行ないました。(尚、午前中は、近辺の名所(野崎観音など)を訪ねました。)
・日時:5月25日(金)
・集合場所・時間:JR四條畷駅改札口 10時10分
・解散場所:JR野崎駅 15時30分
・【コース】 :JR四條畷駅 10時10分−楠木正行墓−四條畷神社−慈眼寺・野崎観音−大東市立歴史民俗資料館(12時半着。午後1時〜3時:資料館の見学・講義、現地見学)−JR野崎駅(15時半)
・特別展資料代:400円
・参加者:18名(女性8名、男性10名)
・《野崎観音巡り》案内:佐藤義夫リーダー
・《特別展「堂山古墳群」》案内:笠井敏光館長
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・天候(%雨%)……降ったりやんだりの小雨でした。
新緑が小雨に映えてよい季節です。
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(%エンピツ%) 特別展「堂山古墳群のひみつ」(4月1日〜6月30日)
*大東市歴史民俗資料館がリニューアルオープンしました。
・住所:大東市野崎3-6-1 (歴史とスポーツふれあいセンター内)
・TEL:072-876-7011
○笠井先生の講義「大東の歴史と堂山古墳群」
①[旧石器〜弥生時代]…海と湖の時代で、弥生時代に入ると、川から運ばれた土砂により、海は湖に変化します(大東市の大半が河内湖の水域に没していた)。
②[古墳時代]…大東市域では、八基の古墳からなる堂山古墳群が代表的です。
*「特別展に多数の出土品を展示」
・.円筒埴輪、朝鮮形埴輪、家・甲冑などの形象埴輪
・須恵器、土師器
・甲冑、刀、剣、槍、矛、鏃などの鉄製武器
・鋤、鍬、斧、鎌などの農・工具
・勾玉(ヒスイ製)、管玉、ガラス玉 など
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(%エンピツ%) 堂山古墳群 「一号墳」
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*右は、一号墳の墳丘で、.笠井先生の説明を
聞いているところです。
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・堂山古墳群は、大東市寺川四丁目にある標高80〜100mの丘陵丘に、五世紀前半から七世紀中頃に築かれた八基の古墳群です。古墳群からは眼前の河内湖をはじめ、周辺地域を一望することができる眺望のよい場所に造られています。
・一号墳は、標高76m、墳丘裾に溝をめぐらせた直径25mほどの円墳です。
・他地域と比べて古墳が少ない北河内地域にあり、当該地域を治めた有力豪族の墳墓と考えられ、地元の歴史を知る上で重要な文化財です。
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(%左足%)(%右足%) 《四條畷・野崎周辺を訪ねる》
(%エンピツ%)「楠正行(まさつら)墓」(四条畷駅から近い)
・楠正行は、1348年四条畷の決戦で高師直・師泰兄弟の6万の大軍に敗れ、弟楠正時と刺し違えて自害した。享年24歳。
・「大楠公」と尊称された楠正成に対して、正行は「小楠公」(しょうなんこう)と呼ばれる。
・巨大な楠が植えられている。
(%エンピツ%) 「四條畷神社」(しじょうなわてじんじゃ)
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*右上の写真は、四条畷神社の103段の石段。
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・四條畷神社は、創建明治23年。
・南朝の将として、四条畷の戦いで敗死した楠正行を主祭神とし、一族の将士24人を配祀している。
・四条畷市には、“楠公”という地名が多く、現在も楠正成・正行親子は、「楠公(なんこう)さん」と呼ばれ慕われている。
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(%エンピツ%) 「野崎観音」
・野崎観音は禅宗(曹洞宗)のお寺で、正式名、慈眼寺(じげんじ)。
・167段の石段上にある。
・創建年代は不詳。本尊は、十一面観音で、行基の作と伝わる。
・1600年代後半、元禄時代の頃に、当時の和尚さんが「大阪から日帰りでお参りできますよ」と上手にPRしたことがウケて、野崎参りが盛んになったとか。
・また、「お染久松の情話」を描いた浄瑠璃などに登場して、知名度は“全国区”となる。
・境内みはらし台からは、大阪平野が一望でき、自然に恵まれたハイキングコース。
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*右上の写真は、境内にある「野崎小唄」の流行歌碑(東海林太郎・
昭和10年)の前で、皆で歌っているところです。
(%音符2%)「野崎参りは 屋形船でまいろ どこを向いても 菜の花ざかり・・・」[
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