(%赤点%)「南河内ウォーク」の第2回の報告です。
『天誅組の道を辿る②』〜川西駅から滝谷不動駅まで〜
・日時:5月27日(日)午後1時〜午後4時
・集合場所・時間:近鉄長野線川西駅・午後1時
・解散場所:石川堤・午後4時
・【コース】:川西駅−錦織神社−浅川堤石碑−岩井(河内音頭)−芝(西国三十三度行者供養塔)−花そげ地蔵尊−大峰三十三度供養塔−神辺辺の石碑−アケボノ象の足跡発見地(石川の河川堤で解散)
・参加者:19名(女性9名、男性10名)
・講師:松本 弘氏(河内長野市郷土研究会副会長)
・スタッフ:松本(サヨ子)、日野上、山本、田中、常本
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(%エンピツ%) 「錦織神社」
・正平18年(1363年)に建てられる
・国の重要文化財が三ヶ所…本殿と両脇の摂社
・唐破風(少し丸みを帯びた形の軒)のうえに千鳥破風(三角形の部分)をのせた屋根の形が特徴的で、有名な日光東照宮本殿の拝殿なども、この様式を変化させたものだといわれている
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*右上の写真は、錦織神社に掲げられた明治27年・相撲板番付
(多くの在郷力士が名を連ねている)を見ているところです。
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(%エンピツ%) 「東高野街道」 (富田林市・錦織芝)
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・芝「西国三十三度供養塔」を過ぎると、
右に見える細長い道に出る。
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・この道は、「東高野街道」で、天誅組もこの道を通ったと思われる。
・《東高野街道》…高野街道のうち、いちばん東側に位置する街道で、河内国の東部を(石川の左岸に沿って)通り、河内長野市で西高野街道と合流。高野山参詣が盛んになると参拝道として賑わう。(街道といえば、大きい道を連想するが、右のような細い道も利用したのである。)
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(%エンピツ%) 「花そげ地蔵尊」(花好山地蔵尊) (富田林市・錦織)
・錦郡、彼方などの人々が、廿山の墓に行くとき珍奇の美花を持って行く。そのとき、地蔵尊の前を通るが、墓に美花をもっていくので、地蔵尊に供する花がないので(その花にそぐるを以って)、“花そげ地蔵”と称する。
・明治初年頃より、高野四方に伝播し、遠方より参詣するものが多くなった。
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(%エンピツ%) 「アケボノ象の足跡発見地」 (富田林市・石川河床)
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*右の河川敷に近い石川の河床から、
100万年前のゾウの足跡化石を発見
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・1989年8月21日、富田林高校の理化部員がゾウの足跡化石を発見(石川の化石を含む地層の年代は約100万年前)。
・また、この石川流域には、「錦織遺跡」があり縄文前期(5000年前)の土器などが出土している。