『高松塚壁画古墳』〜その発掘回顧40年〜

(%緑点%) 前期講座(歴史コース)(3月〜7月:全15回講義)の第12回講義の報告です。
・日時:6月26日(火)am10時〜12時
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題: 「高松塚壁画古墳」〜その発掘回顧40年〜
・講師: 森岡 秀人先生(奈良県立橿原考古学研究所共同研究員)
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(%エンピツ%) 講義の内容
1.はじめに
忘れられない日1972年3月21日 12時30分⇒ “壁画”発見!
・森岡先生は、当時20歳(大学二回生)。関西大学考古学研究室の一員として参加。・・・今でも、あの極彩色の壁画検出に遭遇した驚愕と感動は、丸40年の歳月を経た現在でも体に脈打っているとのことです。
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*右上の写真は、高松塚壁画古墳の西壁北側女子群像です。
・・・(「飛鳥資料館/高松塚古墳」のホームページより)
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2.発掘前の高松塚古墳
・沈黙し続けていた小古墳…(人が来ない静かな場所)
・鎌倉時代に南面より盗掘をうける
・終末期古墳の小さな古墳で、発掘は2週間もあれば終わるだろう…と思われていた。
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3.盗掘抗との格闘が続いた発掘
*1972年3月初旬、雪の残る高松塚の地形平板測量を開始
・謎の切石(凝灰岩・60cm×60cm×36cm)←(ショウガ穴、イモ穴)
・鍬も曲がる硬い版築層
・漆塗り木棺片や凝灰岩片の出土
・主体部を目指せ←盗掘者の心境を考える
・ついに横口式石槨の天井石に辿り着く

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4.壁画の検出と石槨内部の発掘
・1972年3月21日の正午、盗掘抗の向こう側に待ち受けていたものは、信じがたい飛鳥人群像・四神(しじん)・日像、月像・天井星宿図の彩色壁画の群れであった。
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・右の図(上部のメモ)は、「森岡日誌3月21日」で、高松塚古墳壁画配列
を聞き書きによるフィールドノートのメモ図です。
・・・当時の興奮がそのまま伝わってきます。
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【1972年3月21日〜3月27日の動き】
・3月21日:壁画の発見 → 3/21後は、かん口令。
・3月22日:調査活動
・3月23日:写真撮影(カラー)(便利堂)→粘土で入口を閉じる。
・3月26日:NHKテレビ・午後7時のニュース
・3月27日:新聞各社でトップニュース→「高松塚騒動」(考古学旋風)

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5.高松塚古墳の発掘調査(森岡先生にとっての出発点であり終着点)
(1)手弁当の調査活動 (昭和47年(1972年))
・奈良県立橿原考古学研究所所長(当時)・末永雅雄氏の指導のもと、現場での発掘は伊達宗泰氏・と関西大学助教授・網干善政氏を中心とした関西大学考古学研究室の学生を中心。・・・(調査費はわずか50万円)
(2)高松塚古墳の調査が考古学に市民権を与えた
・当時、昭和47年は、佐藤内閣の田中角栄通産大臣(当時)が「日本列島改造論」をぶち上げていた。→ “高松塚がなければ多くの遺跡が破壊されていたはず”
(3)名もない小古墳であろうとおざなりにはできない
・見た目や先入観でものを見ず、中味を調べて判断する。←高松塚古墳は直径わずか20mの円墳。発掘調査が行なわれるまで、壁画があるとは誰も想像していなかった。
(4)メモ魔−「森岡日誌」
・高松塚古墳の調査でも、日々の感想と成果を大学ノートに書き続けた。
・調査結果に興奮と冷静…何が見つかっても変にあわてることがない。学生時代に高松塚を経験したことで落ち着いて考古学に取り組めた。
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*右上が「森岡日誌」の表紙と記事です。
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6.末永雅雄先生の教え
発掘の総指揮者である末永雅雄氏は、「発見」でなく「検出」という言葉を使った。「発掘は物理・数学の法則や定理の『発見』とは異なり、誰が掘っても出てくるものは出てくるので、化学で言う『検出』にすぎない。現場は薬品検査をしているように沈着冷静な態度が不可欠で、世間の騒ぎにけっして同調してはならぬ。」そういう謙虚さと禁欲精神が第一の教えであったように思う。(森岡秀人先生)
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*今日の森岡先生の講義は、40年前でありながら、今でも、発見の興奮と感動が伝わってくる内容でした。