遺跡の見方・・・『古代宮都』

(%緑点%) 前期講座(歴史コース)(3月〜7月:全15回講義)の第13回講義の報告です。
・日時:7月3日(火)am10時〜12時
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題:遺跡の見方「古代宮都」
・講師:笠井 敏光先生(文化プロデューサー)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(%エンピツ%) 講義の内容
1.弥生時代の環濠集落は都市か?
*4月3日/遺跡の見方「弥生集落」を参照
《都市の三要素》
①政治・宗教・経済のセンター
②農民以外の居住
③人口が多く、外部依存が強い
《環濠集落》
・政治・宗教・経済のセンター
・農民が主体
・人口は多いが、外部依存は弱い(地産地消、自給自足)
○“環濠集落は都市ではない”(笠井先生説)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2.古墳時代には都市があるか?
*6月5日/遺跡の見方「古墳時代」を参照
○古墳はいくらあっても政治センターではない
・古墳=墓、宮都=政治
・古墳中心に研究←古墳が多く発掘されているので、古墳中心で宮都を考えてきた
・畿内(うちつくに)[=宮とその周辺(津(港)・市(いち)・手工業(塩・埴輪・須恵器・玉など)・古墳がある]…畿内に分散(集中していない。また、畿内で宮も墓も動く)
・後に続く継続性が無い(古代都市にはならなかった)
・“古墳時代には都市はない”(笠井先生説)
——————————————–
*右上の図は、「居館成立の概念図」(寺沢薫氏)です。
・内部の「首長の居住」→居館(私的空間)
・一般集落とは別に大規模な首長居館(都のはじまり)
——————————————–

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3.古代宮都
○5世紀の大王の宮室に始まり、その後、飛鳥の宮や難波宮を経て→藤原京・平城京・平安京の条坊制都城へと変遷していく
(1)飛鳥の宮
・藤原京より以前は、天皇が代わると宮(ミヤ)を移動(歴代遷宮)
・〈飛鳥時代〉
-推古天皇…593年に飛鳥の豊浦宮で即位して、603年(飛鳥)の小墾田宮(おはりだのみや)に移動し629年まで同地で政治をした。
-推古天皇の死後も、飛鳥には、岡本宮、板蓋宮、川原宮、浄御原宮など、つぎつぎと大王(天皇)の宮が営まれた。
(2)難波宮
・前期難波宮…孝徳天皇・難波長柄豊崎宮(651〜686年)
・陪(副)都⇔首都・大和
・外交経済、交通の拠点として重要

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(3)「宮都」の語義
・「宮」…天皇の住まい。「御屋(ミヤ)」
・「京」…宮と条坊制で区画された都市域からなる首都→都(みやこ)と同義
・「宮都」(きゅうと)は、宮と都(京)を包括した用語
・「都城」=中国では城壁で四周を囲んだことから「都城・京城」と呼ぶ
・「条坊制」…直線の道路が碁盤の目のように直交
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(4)藤原京
・694年、持統天皇、藤原京に遷都
・710年平城京に遷都するまでの16年間、日本の首都
・動かない宮⇔持統、文武、元明天皇の三代
・藤原京以降は、新天皇も前天皇と同じ宮に住むようになった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
4.古代宮都の内裏・大極殿・朝堂院の変遷
————————————
・内裏(だいり)…天皇が住んでいるところ(私的)
・大極殿…政治をするところ(公的)
・朝堂…役人がいるところ
————————————
・前期難波宮(7世紀中頃):内裏と朝堂院が未分離(大極殿はない)
・藤原宮(694〜710年):内裏、大極殿、朝堂院が未分離
・平城宮(奈良時代前半):内裏と大極殿・朝堂院が分離