(%緑点%) 「後期講座(歴史コース)」(9月〜1月:全14回講義)の第1回講義の報告です。
・日時:9月11日(火)am10時〜12時
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題:日本近現代史『日露戦争』
・講師:原田 敬一先生(佛教大学史学部教授)
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*「日清戦争」の復習(3月13日の講義(原田先生))
・日清戦争…1894年(明治27)7月から1895年3月にかけておこなわれた、主に朝鮮半島(朝鮮王朝)をめぐる日本(大日本帝国)と清国(大清国)の戦争
・日清の対立、緊張関係⇒東学党の乱(甲午農民戦争)(1894年5月)⇒日清の出兵→開戦(1894年)(豊島沖海戦、黄海海戦、威海衛攻略)⇒講和-下関条約(1895年)⇒台湾攻略
○下関条約(1895年4月調印)
-朝鮮に対する清朝の不干渉(朝鮮の独立/清の宗主権放棄)
-遼東半島・台湾・澎湖諸島を領有、重慶ほか4港の開港
-賠償金2億両’テール)(約3億1000万…日本の国家予算の2倍以上)など
○三国干渉(露・仏・独)
-日本は遼東半島を返還
-「臥薪嘗胆」(ロシア打倒、軍備拡張)
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(%エンピツ%) 講義の内容
1.日露戦争前の東アジア
○日清戦争(1894〜95年)で大きく変わる
[日本]
・日清戦争という大規模な対外戦争を初めて経験⇒・国際的地位が向上し、大陸進出の足場を築く(←アジアからの日本への留学生が増える)
・軍国主義化の道を進む(賠償金の大半を軍備拡張、軍事費)
[列強による中国分割]
*右上の資料をご覧ください。
・「眠れる獅子」といわれた清朝の弱体が、日清戦争をきっかけに白日のもとにさらされると、列強(露、仏、英、独、日)が中国に進出し、租借地を獲得して勢力範囲を設定、鉄道の建設、鉱山の開発などさまざまな利権を手に入れる
○日露戦争前の国際関係
*右の資料をご覧ください。
・ロシアは、北義和団戦争(北清事変・1900年)(列強8カ国連合軍で北京を占領)後も東北地方に駐兵し、満州を事実上占領。
・シベリア鉄道の開発…アジアの貿易(陸上輸送)を担うようになると・・・世界の海を支配していた英国は困る。また、日本は、シベリア鉄道を使って軍隊を送ってくるのではという危機感。→[日英同盟] (1902年(明治35))
○日露の軍拡
[日本]
・日清戦争後、工業化が進む(八幡製鉄など)…歳入の増加
〈国民総生産(名目):(1894年-1,338百万円)→(1904年−3,028百万円)
〈近代的雇用(工場従業者)〉:(1894年-82万人)→(1904年-121万人)
・軍事費(戦費を含む):(1894年-129.3百万円)→(1904年-677.7百万円)
・増税(間接税):酒税、砂糖・織物消費税
・外債による調達
○巨額の軍事費の最大の受益者は欧米
・最新鋭の兵器は欧米に発注
〈日本が1880年から1904年まで海外発注した軍艦のトン数〉総計:157,191トン…英国:137,905トン(その内ア−ムストロング社86,935トン)、仏:9,436トン、独:9,850トン
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2.日露の対立
[日本]
・韓国を確保したい
・満州をどうするかでゆれる
-(山県有朋ら)・・・通常の国境は主権線、その外側に国境を守るべき前線にあたる「利益線」があるという構想→韓国を確保すると、その周辺も押さえないといけないということで、満州に進出
[ロシア]
・満州に進出←満州については、日本と協議する必要ない(満州は清国との関係)
・韓国については日本と協議
3.日露戦争
・1904年(明治37)2月〜1905年(明治38)9月
・日本とロシアとの間で、朝鮮半島と満州南部を主戦場として発生した戦争
・旅順港閉塞作戦(ロシア太平洋艦隊の閉塞)(1904.2〜3月)→黄海海戦(8月)→旅順総攻撃(第1回8.19〜8.24)(死傷1万5860人、うち戦死5037人)→遼陽会戦(9月4日)(死傷2万3533人)→旅順開城(第3回)・203高地占領(12月5日)(死傷1万6935人、うち戦死5052人)→奉天会戦(1905.3月)→日本海海戦(5月27日〜28日)
・日露とも多くの死傷者、戦死者
・1905年3月:山県有朋参謀総長「政戦両略概論」⇒早く戦争を治めるための外交政策
・(実態)…日本は、「奉天会戦」で退却するロシア軍を追撃する戦闘能力をもっていなかった。また、戦場の指揮官(中堅幹部)が多く戦死して、不足していた。
4.ポーツマス条約(日露戦争の講和条約)
*右上の資料をご覧ください。
・1905年9月5日調印(アメリカ東海岸の軍港ポーツマス)
・ルーズベルト米大統領に講和の斡旋
【主な内容】
-韓国に対する日本の政事、軍事、経済の利益を有するを承認
-遼東半島南部の租借権
-日本に樺太南部を譲渡
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5.まとめ
1.国民の物語? …「19世紀、アジアに押し寄せる強国ロシアの侵略に対抗して日本は自衛のためやむなく立ちあがった。」⇒果たしてそうだったのか。 “満州までのり出さないといけなかったのだろうか”
2.戦後が戦前であった時代…一つの戦争が終わると戦後がくるが、その戦後はいずれ戦争を迎える戦前であった。
・1894年:日清戦争
・1904年:日露戦争
・1914年:第一次世界大戦
・1937年:日中戦争
・1939年:第二次世界大戦
3.日露戦争後の世界
[日本]
・「一等国」への道…外交官・領事館(公使→大使)
・韓国支配への道…1910年韓国併合
・東アジアの力関係が安定…日英同盟、日露協商(日露の利益分割−蜜月時代)、日仏協約(南部は仏、北部は日本)など